
今月のことば_2026年05月


私たちは日々の暮らしの中で、「何かをすれば、何かが得られる」という交換条件の中に生きています。努力すれば成果が出る、代金を払えば品物が手に入る。この論理に慣れすぎた私たちは、仏様との関係までも、つい「これだけ念仏を称えれば、往生させていただけるだろうか」という取引のように捉えてしまいがちです。
しかし、親鸞聖人が示されたのは、そうした私たちの計らいを根底から覆す「無条件の救い」でした。阿弥陀仏は、私たちが善い人間になったから救うのではなく、迷いから抜け出せない愚かな存在であるからこそ、「そのまま救う」とすでに決めておられます。これが「如来わが往生をさだめたまいし」という言葉の意味です。
私たちの称える「南無阿弥陀仏」は、合格を勝ち取るための試験勉強でも、救いを買うための代金でもありません。それは、救いがすでに完成していること、そして、決して見捨てられない慈悲の中に生かされていることへの、抑えきれない喜びの表現です。
「交換条件」という損得勘定を手放したとき、念仏は義務ではなく、温かな「ありがとう」という報恩の響きへと変わります。そのとき、私たちの心には本当の安らぎが訪れるのです。
花まつりとは?何をする行事?
4月8日は、お釈迦さまの誕生日をお祝いする「花まつり」の日です。正式には「灌仏会」と言いますが、花で飾られたお堂(花御堂)でお祝いすることから、親しみを込めてそう呼ばれています。
この行事では、花で飾られた屋根付きの台「花御堂」が設置されます。その中の「誕生仏」に、参拝者は柄杓で甘茶を注ぎます。これは、お釈迦さまの誕生時に九頭の龍が現れ、祝福の甘い雨を降らせたという伝説に基づいた儀式です。
なぜ花をたくさん飾るのか
花まつりに花を欠かさないのは、お釈迦さまが「ルンビニ園」という美しい花園でお生まれになったからです。
その時、庭園にはアショーカの木の花が咲き誇り、世界中が誕生を祝福しているようだったと伝えられています。そのため、花まつりではお釈迦さまが誕生された時の美しい花園を再現するために、たくさんのお花でお堂を飾り、華やかにお祝いをするのです。
誕生の瞬間に歩まれた「7歩」の意義
お釈迦さまは誕生直後、東西南北に7歩ずつ歩まれたと伝えられています。なぜ「7」なのか、そこには深い仏教的な意味があります。
仏教では、私たちが迷いの中で生まれ変わりを繰り返す状態を「六道」と呼びます。地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人、天の6つの世界です。
お釈迦さまが7歩目を踏み出したのは、この6つの迷いの世界を超えたことを象徴しています。つまり、お釈迦さまの誕生は「迷いから抜け出し、悟りを開く道を示しに来た」という大きな意義が込められているのです。
現代を生きる私たちへのメッセージ
お釈迦さまが示した「7歩目」は、私たちにも開かれています。悩みという「迷い」の中にいても、そこから一歩踏み出し、命のあり方を見つめ直せるという希望のメッセージです。
花まつりは、美しい花々に囲まれながら、お釈迦さまの一歩に想いを馳せ、自分の人生をいかに歩むかを見つめ直す大切なしるべとなる行事なのです。

仏のかたより往生は治定せしめたもう。この気づきが浄土真宗では大事なものなのだなと最近は思わせてもらってます。念仏に基づかないことを一生懸命止めようとしても止められず、それ以前に何が雑行なのかもさっぱり見当がつかなくて途方にくれていても、そんなことに何にも関心を持たずただただその日暮らしをしていようが、仏、すなわち阿弥陀如来様は往生させようさせようとその人に合ったはたらきをしてくださっているのです。ただそのおはたらきがこの上なくありがたいと思えるのは二心なく一心に弥陀如来にたすけてと深く願うときなのでしょう。弥陀如来が私を救ってくださっている、救おうと今してくださっていると言う字覺が生まれたときに初めて弥陀にお任せしようという絶対的な信頼、すなわち帰命する心がどこからともなくわいてくることでしょう。
この言葉は親鸞聖人のお師匠様、法然上人のお言葉だそうです。実は似たような言葉を以前聞いたことがあります。それは蓮如上人の「仏法をあるじとし、世間を客人とせよ」という言葉です。法然上人の方が古い方ですので、たぶん蓮如上人が法然の上人の言葉を受けて書かれたのでしょう。主人ですから使えるべき存在、一番大事にしないといけない存在が念仏の心や仏法と言われるものなのでしょう。そして客人は無視して良いというわけではなく、ある程度のおっ気合いをしていかないといけないけど、客人と主人を比べれば渡欧前主人のいうことを聞かないといけない存在なのでしょうね。それが煩悩の心や世間の常識なのでしょう。何を一番にしないとけないか考えながら生きていくことが大事なのでしょう。
2月23日、常入寺本堂を会場として井波別院巡回法座が勤まりました。御法宝物として瑞泉寺草庵の軸、御供として列座の三牧準さんがお越し下さりお説教をし下さいました。
お話しは、法宝物にあわせて瑞泉寺が創建されたときにこと、そして三牧さんは珠洲市のお寺の生まれだそうですが、二年前の能登地震で本堂が半壊、住居部分が全壊されたそうです。三牧さん自身は事後とで魚津におられ、ご両親とお連れ合いさんは珠洲のお寺におられたそうです。地震後中々珠洲に行けなかったもどかしさをお話しくださったり、今は住宅部分をどうするのかということを両親と話し合っているが、中々答えがでないというつらさもお話しくださりました。






2月15日はお釈迦さまが涅槃に入られた(亡くなられた)日です
2月15日。春の兆しがほのかに漂うこの日は、仏教をお開きになられたお釈迦様が、八十年にわたる尊い生涯を閉じ、究極の悟りの境地である「涅槃」に入られた日です。ですからこの日や周辺の日に全国の多くの寺院では「涅槃会」が勤められます。
いろんな所にお釈迦さまが涅槃に入られたときの姿を記した涅槃図が伝承されています。クシナガラの沙羅双樹の間に横たわるお釈迦様を囲み、弟子たちはもちろん、鳥や獣までもがその死を嘆き悲しむ姿が描かれています。しかし、その中心にいらっしゃるお釈迦様の表情はどこまでも穏やかです。それは、生老病死というこの世のあらゆる苦しみから解き放たれ、静寂なる安らぎに到達されたお姿そのものです。
お釈迦様は、嘆き悲しむ弟子たちに最期の言葉を遺されました。それが「自灯明・法灯明」という教えです。「私がいなくなっても、他者に惑わされてはならない。自分自身を灯火とし、私が説いた法(真理)を灯火として歩みなさい」というこの言葉は、師という形ある存在を失う不安の中にあった弟子たちに、自立して生きる勇気を与えました。
さらに、お釈迦様は「諸行は無常なり、不放逸に努めなさい」と言い残されました。この世のすべては移ろいゆくものであり、とどまることはない。だからこそ、今というこの瞬間を疎かにせず、怠ることなく修行に励みなさい。自らの肉体が滅びゆくその瞬間に、身をもって「無常」を説き、残された者の背中を押されたのです。
涅槃会は、単にお釈迦様の死を悼むための日ではありません。それは、お釈迦様が遺してくださった智慧のバトンを、私たちが受け取る日でもあります。私たちは日々、外側の変化に一喜一憂し、自分を見失いがちです。しかし、2500年以上前に灯されたその火は、今も私たちの足元を照らし続けています。
沙羅双樹の花が白く色を変え、静かに散っていったあの日。お釈迦様が伝えたかったのは、死への恐怖ではなく、命をどう全うするかという情熱でした。2月15日、静かに手を合わせながら、自分自身の内なる灯火を見つめ直し、今を精一杯生きる決意を新たにしてみてはいかがでしょうか。
三仏忌(さんぶっき)
お釈迦さまが涅槃に入られた日、涅槃会。お悟りを開かれた日、成道会。お生まれになった日、降誕会を合わせて「三仏忌」といいます。 お釈迦さまの生涯の三つの大きな節目を記念して行われる最も重要な法要です。
ここで用いられる「忌」という言葉は、一般的な「忌み嫌う」という意味ではなく、「慎んで身を正す」という意味です。
「忌」とは、日常を離れ、心身を清らかに保ちながら、尊い存在に対して敬意を捧げる状態を指します。つまり、お釈迦様の遺徳を偲ぶとともに、自分自身の生き方や心の在り方を静かに見つめ直し、律するための大切な時間なのです。
三仏忌は、単なる記念行事ではありません。お釈迦様の歩みを道標として、私たちが「慎みの心」を持ち、日々正しく生きていくことを改めて誓うための、精神的な節目といえるでしょう。法要を務める意味も同じでしょう。

2026年02月
自灯明 法灯明
他人に頼らず、教えにであった自分自身と正しい教えを道しるべにして生きなさい
お釈迦様(最後のお説教)
2026年を迎えました。皆様はいかがお過ごしでしょうか。
突然なのですが、昨年を振り返ると今のNHK朝の連続テレビ小説のオープニング曲になっているハンバードハンバートの『笑ったり転んだり』の歌詞が身にしみる年やったなと感じてます。特に「毎日難儀なことばかり 泣き疲れ眠るだけ そんなじゃダメだと怒ったり これでいいかと想ったり」「日に日に世界が悪くなる 気のせいかそうじゃない そんなじゃダメだと焦ったり 生活しなきゃと坐ったり」という歌詞に同感してしまいます。テレビでニュースを見ていると大変なことばかり起こってますね。毎日毎日ニュースが気になります。殺人事件、大災害、円安による物価高等々。ついつい昔は良かったなと思ってしまいます。でも落ち込むばかりではいけないのでしょうね。だからこそ今生きていく中で大事にしなければならないものをあきらかにしなければならないことなのでしょう。
そういえば昨年の10月の今月のことばとして「行き詰まることは執着でなく転機だ」という言葉を選んでいたことを思い出します。本当に世を嘆いたり、絶望だけで終わるのではなく、今を転機として過去を振り返り未来を想像する機会と捉えなければならないのでしょうね。
今年の干支は丙午になります。私の同級生の多くが還暦にあたります。私は早生まれなので来年還暦にあたるのですが…。還暦は60通りの干支が一周したことを意味します。新たに馬のように躍動する準備を少なくても始めないといけませんね。

修正会
一月一日午前六時より
初老や還暦の方々が団体参拝されますので修正会の始まる時間が変更となる場合もございます
年始は一日午前五時より二日午後四時まで受付します。本堂に誰もいなかったら、お声がけください。参拝は一日午前零時より行えます
月参りは一日より三日まで休ませていただき、四日より再開します
初参り・初詣はご縁の深いところでいたしましょう
常入寺は喪中など関係なくどなたでもいつでもお参りできます。
ご本尊の阿弥陀如来は人を選ぶことはありません。
どうぞどなたでもお参りください


今月のことば_2025年12月
親のの心配知らぬ顔の息子たち 思い返せば私もそうやった
同じように弥陀のお心しらずの私たち


















10月31より11月1日まで当寺報恩講を勤めさせていただき来ました。あいにくの雨の中わざわざお参りくださったこと心より御礼申し上げます。住職の三男は仕事休み、四男は学校を休んでお参りしてくれました。次男もお参りしました。
今年のお説教は教区駐在教導の菊池正見さんに来て頂き、親鸞聖人のご生涯が書かれている御伝鈔についてお話し頂きました。
いろいろと課題を頂きましたのでまた来年の報恩講に向かってその課題を解決していこうと思います。
報恩講とは私たちの宗祖親鸞聖人のお亡くなりになられた日を縁として勤められる年間行事の中で一番大切なものです
皆様と一緒にお念仏の声をそして親鸞聖人のみ教えを
聞いていきたいと思っています
《日 程》
10月31日(金) 午後1時30分より 午後のおつとめ
11月 1 日(土) 午前9時30分より 午前のおつとめ
午後1時30分より まとめのおつとめ毎回正信偈のお勤めをします その後にお説教があります
お話しくださるのはいつもの方ではなく
富山教区駐在教導の菊池 正見さん(射水市・誓光寺)です
お説教の内容はは親鸞聖人のご生涯についてお話をしていただきます
★例年のごとく11月1日にオトキ(昼食)を用意しています
無料ですので是非食べていってください
★長寿者などを対象に自宅からゴボハンへ ゴボハンから自宅への送迎サービス(無料)を実施いたします 前もって電話をいただければ係のものが迎えにまいります 是非ご利用ください
この五帖目第十通の御文は浄土真宗の救いを簡単にわかりやすく説明されているものだと思います。私たちが「もろもろの雑行をなげすてて一心に弥陀に帰命すれば」阿弥陀さまが私たちに往生間違いなしというお約束をくだされるというのです。中々私たちの理解を超えたものですが。そして「一心に弥陀に帰命す」るという信心もここには書かれていませんが、阿弥陀さまのお導きによって信心がいただけると言われているのです。南無阿弥陀仏とお念仏を称えようと思うこころも阿弥陀さまが、念仏を称えたものを浄土にすくい取ろうとはたらかれるのも阿弥陀さまなのです。念仏の救いすべてが阿弥陀さまの計らいなのです。私が入る余地が全くないのです。阿弥陀さまの自演自作の救いといっても良いかもしれませんね(笑)。このことを念仏を称えてこられた先輩方は「他力」いってこられたわけです。そう言う意味で言えば『他力本願」という言葉をたまに聞きます。それは他人任せという意味で使われていますが、そうではなく、本来の意味からいえば阿弥陀さま任せという意味のです。



12日午前中、東老田尼講の方々にお手伝いを頂き報恩講に向けて仏具磨きをしました。
終わった後皆さんで正信偈のお勤めをした後ゆっくりお茶を飲んでいってもらいました。久し振りに本堂が賑やかでした。こんな本堂が賑やかな日が増えればなと住職は思ったわけです。いいひとときでした。
そして住職は報恩講のとき、懇志を頂いた方のお返しとして使う銀杏を洗い始めました。報恩講の準備が少しずつ始まっています。
どうぞどなた様もお参りください

気づけば秋まっ只中
蓮如上人の
一生過ぎやすし
との言葉が身に染みる
ごぼはんだよりは今回の2025年10月号で通算400号を迎えました。もう何年前から始めたのかということは資料を残していないのでわかりませんし、住職自身もはっきりとは覚えていません。ただ住職になって何かをしなければならないということで祠堂経や報恩講の案内をごぼはんだよりとして発行した記憶はあります。そしていつしか本願寺八代の蓮如上人が御文を沢山書かれるなど文章伝道をされたことを参考に、毎月発行させていただくことにしたのかなと、かすかな記憶にあります。単純計算すると年間14号発行していますので400を14で割ると約28年になります。まぁようやったもんやなと自分ながら感心するばかりです。たまにごぼはんだよりをお渡すのを忘れていたら「まだもらってないよ」と催促下さる方がいて、これも続けて発行していこうという思いにからせて頂きました。そう言う意味で読んでいて下さる方がいるんだなと思えたからこそ400号まで発行することができたわけです。私が頑張ったというよりは皆様の励ましにより続けられたと言えることです。
いつまでできるかなという思いもあるのですが、これからも許される限り発行して行く思いであります。ただただ発行したというだけで中身は薄っぺらいものなのですが、これからもゆるくゆるく、いろんな思いを込めて発行し続けていきたいと思いますので皆様もこれに目を通し続けるということでご協力ください。
お願いします。

お道具磨きの案内
常入寺
平素より常入寺の運営や管理ご協力頂き誠にありがとうございます。
秋も深まり、当寺の報恩講をお勤めさせていただく季節が近づいて参りました。
さて例年のごとく報恩講に向けたお道具磨き(仏具磨き)を下記の通りいたしますのでご協力賜りたくご案内申し上げます。
記
日 時 10月12日(日曜日)午前9時より
場 所 常入寺本堂
持ち物 よろしければ仏具を磨くタオルをお持ちください(古タオルでも可)
以上
【予告】
10月31日~11月1日 常入寺報恩講
11月23日 御正忌法要・尼講追悼法要

9月28日午後2時より当寺秋季彼岸会を勤めさせていただきました。彼岸が開けた後でしたが…
講師として小松市の西照寺住職日野直さんに来ていただき、大きな舟に乗ってー私の生活点検…貴方の宗教はなんですか?ーという講題の元優しい声でお話しシクくださいました。釈尊の四門出遊のお話しを元に人間の逃れることのできない苦しみの代表として四苦、生老病死をお示し下さいました。
少しいつもより多めのお参りで住職は少しほっとしていました。
来月には報恩講が勤まります。どうぞ沢山の方にお参りいただきたいと思っています。

報恩講とは私たちの宗祖親鸞聖人のお亡くなりになられた日を縁として勤められる年間行事の中で一番大切なものです
皆様と一緒にお念仏の声をそして親鸞聖人のみ教えを
聞いていきたいと思っています
《日 程》
10月31日(金) 午後1時30分より 午後のおつとめ
11月 1 日(土) 午前9時30分より 午前のおつとめ
午後1時30分より まとめのおつとめ毎回正信偈のお勤めをします その後にお説教があります
お話しくださるのはいつもの方ではなく
富山教区駐在教導の菊池 正見さん(射水市・誓光寺)です
お説教の内容はは親鸞聖人のご生涯についてお話をしていただきます
★例年のごとく11月1日にオトキ(昼食)を用意しています
無料ですので是非食べていってください
★長寿者などを対象に自宅からゴボハンへ ゴボハンから自宅への送迎サービス(無料)を実施いたします 前もって電話をいただければ係のものが迎えにまいります 是非ご利用ください
儀式の中で漢文のお経をそのまま読んでいてもなんとなく納得いかずいました。それでは現代語訳を読めばとも思ったのですが、ちょっと時期草々かなと勝手に思慮、というところで折衷案として漢文と現代語の混じったものにすればということになり、まず阿弥陀経から作成いたしました。本日いちおうの寛正を迎えましたので皆様にご披露いたします。
ご意見をいただければとってもうれしいです。

2025年秋期彼岸会
日時 9月28日(日)午後2時より4時まで会場 常入寺本堂
参加費 無 料
講師 日野直師(小松市 西照寺)


