407_御文をいただく 其の七十二五帳目第十通③

御文をいただく 其の七十二五帳目第十通③

 私たちは日々の暮らしの中で、「何かをすれば、何かが得られる」という交換条件の中に生きています。努力すれば成果が出る、代金を払えば品物が手に入る。この論理に慣れすぎた私たちは、仏様との関係までも、つい「これだけ念仏を称えれば、往生させていただけるだろうか」という取引のように捉えてしまいがちです。
 しかし、親鸞聖人が示されたのは、そうした私たちの計らいを根底から覆す「無条件の救い」でした。阿弥陀仏は、私たちが善い人間になったから救うのではなく、迷いから抜け出せない愚かな存在であるからこそ、「そのまま救う」とすでに決めておられます。これが「如来わが往生をさだめたまいし」という言葉の意味です。
 私たちの称える「南無阿弥陀仏」は、合格を勝ち取るための試験勉強でも、救いを買うための代金でもありません。それは、救いがすでに完成していること、そして、決して見捨てられない慈悲の中に生かされていることへの、抑えきれない喜びの表現です。
 「交換条件」という損得勘定を手放したとき、念仏は義務ではなく、温かな「ありがとう」という報恩の響きへと変わります。そのとき、私たちの心には本当の安らぎが訪れるのです。

4月8日はお釈迦さまのお生まれにならられた日「花祭り」を催しお祝いする日です

花まつりとは?何をする行事?
 4月8日は、お釈迦さまの誕生日をお祝いする「花まつり」の日です。正式には「灌仏会」と言いますが、花で飾られたお堂(花御堂)でお祝いすることから、親しみを込めてそう呼ばれています。
 この行事では、花で飾られた屋根付きの台「花御堂」が設置されます。その中の「誕生仏」に、参拝者は柄杓で甘茶を注ぎます。これは、お釈迦さまの誕生時に九頭の龍が現れ、祝福の甘い雨を降らせたという伝説に基づいた儀式です。
なぜ花をたくさん飾るのか
 花まつりに花を欠かさないのは、お釈迦さまが「ルンビニ園」という美しい花園でお生まれになったからです。
 その時、庭園にはアショーカの木の花が咲き誇り、世界中が誕生を祝福しているようだったと伝えられています。そのため、花まつりではお釈迦さまが誕生された時の美しい花園を再現するために、たくさんのお花でお堂を飾り、華やかにお祝いをするのです。
誕生の瞬間に歩まれた「7歩」の意義
 お釈迦さまは誕生直後、東西南北に7歩ずつ歩まれたと伝えられています。なぜ「7」なのか、そこには深い仏教的な意味があります。
 仏教では、私たちが迷いの中で生まれ変わりを繰り返す状態を「六道」と呼びます。地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人、天の6つの世界です。
 お釈迦さまが7歩目を踏み出したのは、この6つの迷いの世界を超えたことを象徴しています。つまり、お釈迦さまの誕生は「迷いから抜け出し、悟りを開く道を示しに来た」という大きな意義が込められているのです。
現代を生きる私たちへのメッセージ
 お釈迦さまが示した「7歩目」は、私たちにも開かれています。悩みという「迷い」の中にいても、そこから一歩踏み出し、命のあり方を見つめ直せるという希望のメッセージです。
 花まつりは、美しい花々に囲まれながら、お釈迦さまの一歩に想いを馳せ、自分の人生をいかに歩むかを見つめ直す大切なしるべとなる行事なのです。

405

2月15日はお釈迦さまが涅槃に入られた(亡くなられた)日です


2月15日。春の兆しがほのかに漂うこの日は、仏教をお開きになられたお釈迦様が、八十年にわたる尊い生涯を閉じ、究極の悟りの境地である「涅槃」に入られた日です。ですからこの日や周辺の日に全国の多くの寺院では「涅槃会」が勤められます。
 いろんな所にお釈迦さまが涅槃に入られたときの姿を記した涅槃図が伝承されています。クシナガラの沙羅双樹の間に横たわるお釈迦様を囲み、弟子たちはもちろん、鳥や獣までもがその死を嘆き悲しむ姿が描かれています。しかし、その中心にいらっしゃるお釈迦様の表情はどこまでも穏やかです。それは、生老病死というこの世のあらゆる苦しみから解き放たれ、静寂なる安らぎに到達されたお姿そのものです。
 お釈迦様は、嘆き悲しむ弟子たちに最期の言葉を遺されました。それが「自灯明・法灯明」という教えです。「私がいなくなっても、他者に惑わされてはならない。自分自身を灯火とし、私が説いた法(真理)を灯火として歩みなさい」というこの言葉は、師という形ある存在を失う不安の中にあった弟子たちに、自立して生きる勇気を与えました。
 さらに、お釈迦様は「諸行は無常なり、不放逸に努めなさい」と言い残されました。この世のすべては移ろいゆくものであり、とどまることはない。だからこそ、今というこの瞬間を疎かにせず、怠ることなく修行に励みなさい。自らの肉体が滅びゆくその瞬間に、身をもって「無常」を説き、残された者の背中を押されたのです。
 涅槃会は、単にお釈迦様の死を悼むための日ではありません。それは、お釈迦様が遺してくださった智慧のバトンを、私たちが受け取る日でもあります。私たちは日々、外側の変化に一喜一憂し、自分を見失いがちです。しかし、2500年以上前に灯されたその火は、今も私たちの足元を照らし続けています。
 沙羅双樹の花が白く色を変え、静かに散っていったあの日。お釈迦様が伝えたかったのは、死への恐怖ではなく、命をどう全うするかという情熱でした。2月15日、静かに手を合わせながら、自分自身の内なる灯火を見つめ直し、今を精一杯生きる決意を新たにしてみてはいかがでしょうか。

三仏忌(さんぶっき)

 お釈迦さまが涅槃に入られた日、涅槃会。お悟りを開かれた日、成道会。お生まれになった日、降誕会を合わせて「三仏忌」といいます。 お釈迦さまの生涯の三つの大きな節目を記念して行われる最も重要な法要です。
 ここで用いられる「忌」という言葉は、一般的な「忌み嫌う」という意味ではなく、「慎んで身を正す」という意味です。
 「忌」とは、日常を離れ、心身を清らかに保ちながら、尊い存在に対して敬意を捧げる状態を指します。つまり、お釈迦様の遺徳を偲ぶとともに、自分自身の生き方や心の在り方を静かに見つめ直し、律するための大切な時間なのです。
 三仏忌は、単なる記念行事ではありません。お釈迦様の歩みを道標として、私たちが「慎みの心」を持ち、日々正しく生きていくことを改めて誓うための、精神的な節目といえるでしょう。法要を務める意味も同じでしょう。

2026年修正会を務めます

修正会
一月一日午前六時より
初老や還暦の方々が団体参拝されますので修正会の始まる時間が変更となる場合もございます
年始は一日午前五時より二日午後四時まで受付します。本堂に誰もいなかったら、お声がけください。参拝は一日午前零時より行えます
月参りは一日より三日まで休ませていただき、四日より再開します
初参り・初詣はご縁の深いところでいたしましょう
常入寺は喪中など関係なくどなたでもいつでもお参りできます。
ご本尊の阿弥陀如来は人を選ぶことはありません。
どうぞどなたでもお参りください

401_2025年常入寺報恩講のご案内_御文をいただく 其の七十一 五帳目第十通②

報恩講厳修
十月三十一日午後一時三十分より十一月一日午後三時まで

報恩講とは私たちの宗祖親鸞聖人のお亡くなりになられた日を縁として勤められる年間行事の中で一番大切なものです
皆様と一緒にお念仏の声をそして親鸞聖人のみ教えを
聞いていきたいと思っています
《日  程》
10月31日(金)   午後1時30分より 午後のおつとめ
11月  1 日(土) 午前9時30分より 午前のおつとめ
午後1時30分より まとめのおつとめ毎回正信偈のお勤めをします その後にお説教があります
 お話しくださるのはいつもの方ではなく 
富山教区駐在教導の菊池 正見さん(射水市・誓光寺)です
 お説教の内容はは親鸞聖人のご生涯についてお話をしていただきます
★例年のごとく11月1日にオトキ(昼食)を用意しています
無料ですので是非食べていってください
★長寿者などを対象に自宅からゴボハンへ ゴボハンから自宅への送迎サービス(無料)を実施いたします 前もって電話をいただければ係のものが迎えにまいります   是非ご利用ください

御文をいただく 其の七十一五帳目第十通②

この五帖目第十通の御文は浄土真宗の救いを簡単にわかりやすく説明されているものだと思います。私たちが「もろもろの雑行をなげすてて一心に弥陀に帰命すれば」阿弥陀さまが私たちに往生間違いなしというお約束をくだされるというのです。中々私たちの理解を超えたものですが。そして「一心に弥陀に帰命す」るという信心もここには書かれていませんが、阿弥陀さまのお導きによって信心がいただけると言われているのです。南無阿弥陀仏とお念仏を称えようと思うこころも阿弥陀さまが、念仏を称えたものを浄土にすくい取ろうとはたらかれるのも阿弥陀さまなのです。念仏の救いすべてが阿弥陀さまの計らいなのです。私が入る余地が全くないのです。阿弥陀さまの自演自作の救いといっても良いかもしれませんね(笑)。このことを念仏を称えてこられた先輩方は「他力」いってこられたわけです。そう言う意味で言えば『他力本願」という言葉をたまに聞きます。それは他人任せという意味で使われていますが、そうではなく、本来の意味からいえば阿弥陀さま任せという意味のです。


報恩講に向けたお磨きをします

お道具磨きの案内
常入寺
平素より常入寺の運営や管理ご協力頂き誠にありがとうございます。
秋も深まり、当寺の報恩講をお勤めさせていただく季節が近づいて参りました。
さて例年のごとく報恩講に向けたお道具磨き(仏具磨き)を下記の通りいたしますのでご協力賜りたくご案内申し上げます。

日 時 10月12日(日曜日)午前9時より
場 所 常入寺本堂
持ち物 よろしければ仏具を磨くタオルをお持ちください(古タオルでも可)
以上
【予告】
10月31日~11月1日 常入寺報恩講
11月23日 御正忌法要・尼講追悼法要

2025年常入寺報恩講のご案内

報恩講厳修
十月三十一日午後一時三十分より十一月一日午後三時まで

報恩講とは私たちの宗祖親鸞聖人のお亡くなりになられた日を縁として勤められる年間行事の中で一番大切なものです
皆様と一緒にお念仏の声をそして親鸞聖人のみ教えを
聞いていきたいと思っています
《日  程》
10月31日(金)   午後1時30分より 午後のおつとめ
11月  1 日(土) 午前9時30分より 午前のおつとめ
午後1時30分より まとめのおつとめ毎回正信偈のお勤めをします その後にお説教があります
 お話しくださるのはいつもの方ではなく 
富山教区駐在教導の菊池 正見さん(射水市・誓光寺)です
 お説教の内容はは親鸞聖人のご生涯についてお話をしていただきます
★例年のごとく11月1日にオトキ(昼食)を用意しています
無料ですので是非食べていってください
★長寿者などを対象に自宅からゴボハンへ ゴボハンから自宅への送迎サービス(無料)を実施いたします 前もって電話をいただければ係のものが迎えにまいります   是非ご利用ください

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祠堂経会厳修
二〇二五年六月十五日午前九時三十分より十六日午後三時三十分まで
6月15日(日)
午前の部、並びに祠堂のお勤め 午前9時30分より
ブレスレット型お念珠作り 午後12時30分より
尼講のお勤め 午後1時30分より
6月16日(月)
午前の部 午前9時30分より
午後の部 午後1時30分より
(午前の部11時30分頃 午後の部3時30分頃終了予定です)
※15日は尼講によるオトキ(昼食)がございます
東老田尼講員以外でオトキをご希望の方は実費にてお分けします 6月9日までに住職に申し出てください
※16日はお寺からオトキを用意いたします 粗食ですが食べていってください
※それぞれのお勤めのあとに法話があります。
  法話は両日とも齋藤弘顕さん(富山市四方浄光寺住職)
がされます

一座だけでも結構です 皆様のお参り心よりおまいいたしております
皆さんといっしょにお念仏のみ教えをお聞きいたしたいと思っています
できれば、ご友人ご近所の方々をお誘いの上お参りください 
お願いします

報恩講をお迎えさせていただきます

報恩講厳修
十月三十一日午後一時三十分より十一月一日午後三時まで
報恩講とは私たちの宗祖親鸞聖人のお亡くなりになられた日を縁として勤められる年間行事の中で一番大切なものです
皆様と一緒にお念仏の声をそして親鸞聖人のみ教えを
聞いていきたいと思っています
日  程
10月31日(木)   午後1時30分より 午後のおつとめ
11月  1 日(金) 午前9時30分より 午前のおつとめ
午後1時30分より まとめのおつとめ
お勤めの後に毎回お説教があります
お話しくださるのはいつものように 松井 勇さん(南砺市)です
今年は本願寺に伝わる御伝鈔(親鸞聖人のご生涯を伝える絵巻物)をもとにお話をしていだけるようにお願いしてあります
※例年のごとく11月1日にオトキ(昼食)を用意しています

Q.報恩講って何をするの?A.報恩講では宗祖親鸞聖人がお作りになられたうた、正信偈と和讃を僧侶が中心となって節をつけて読みます。その後親鸞聖人のお教えをわかりやすく説明されるお説教を聞きます。それが2日間に渡り三座(3回)設けます。全部お参りしなければならないわけではなく、一座だけのお参りでもかまいません。

皆様ご協力ください

能登半島支援 茶碗一杯からの助け合い運動 開催中!!

1月1日の能登半島地震がおこり、そしてまた先日9月21日の豪雨災害が起きてしまいました。テレビを見ていても本当にやりきれない気持ちでいっぱいになります。東日本大震災の時にならい当寺では有縁の方々のご協力をいただき、被災地に皆様のお心と一緒にお米を送りたいと思います。当寺玄関に米を入れる箱を用意します、また報恩講、御正忌の時には本堂にも箱を用意しますので袋にお米を茶碗一杯以上を入れていただきお寺までお持ちいただけたら幸いです。またお参りの折にお渡しくださっても結構です。
「心配しているよ」という気持ちをお米に込めて能登半島に届けませんか?
責任を持ってお米をのとにとどけさせていtだきます。
皆様よろしければご協力ください。

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4月8日はお釈迦さまのお生まれにならられた日「花祭り」を催しお祝いする日です

 4月8日は、お釈迦さまのお誕生をお祝いする「花まつり」の日です。花まつりは、仏教寺院だけでなく、多くの仏教系の幼稚園や保育園、学校などで広く行われています。皆様方も各家庭でお祝いのケーキなどを食べてお祝いしませんか。
 お釈迦さまは、今からおよそ2500年前、現在のインド国境に近いネパールの地、ルンビニーの花園でお生まれになりました。お釈迦さまの誕生日のお祝いを「花まつり」というのはこのためです。
 シャカ族の王子としてお生まれになったお釈迦さまは、「ゴータマ・シッダールタ」と名づけられました。お生まれになってすぐに7歩進み、右手で天を、左手で地を指差し「天上天下唯我独尊」と宣言されたと伝えられています。これをいろんな事を飛ばして極端に訳するならば、私たち一人ひとりかけがえのない尊いいのちをお借りして生きているんだとなります。またお釈迦様ががお生まれになったとき、そのことを祝った竜王が甘露の雨、すなわち甘い雨を降らせたとも伝えられています。ですからそのことを模して花まつりの時お釈迦さまに甘茶をおかけするのです。
 思いを巡らせれば、私達は皆、お釈迦さまと同じように、誰にもかわることの出来ない、かけがえのない「いのち」を生きている事に気づくことでしょう。人類が誕生して以来、数え切れないほどの人々が生き、また現在、数十億の人々が共に存在しているなかで、誰一人として「わたし」と同じように生き、悩み、考え、行動する人はいないのです。人生を変わってくれる人もいません。またみんなかけがえのない「いのち」をいただいて生きているのです。しかしいつの間にか人と比べ優劣をつけ喜んだり落ち込んだりしてしまっています。世界を見渡せば今どこかで正義の名の下で殺し合いが繰り返されているのです。本当に悲しむべきことです。
 4月8日は、お釈迦さまの誕生をお祝いすると同時に、それぞれの「かけがえのないいのちの尊さ」に眼を向け、正しく生きることをお誓いする日にしたいものです。世界人類が違いを認め合いながら尊いいのちを生きる仲間として生きなければならないことに気づく日にしたいものです。

2024年井波別院巡回法座

井波別院瑞泉寺法宝物御巡回のご案内
日 時 2 0 2 4年2月12日(月)午後1時3 0分より
場所常入寺(富山市東老田)
布教使高岡市麻生谷長福寺住職藤井乗師
皆さまお誘い合わせて、お参りください。
※お心のあるお方は、下記の用紙にご記入の上、当日ご懇志を添えて申し出下さい。 (春秋の彼岸会、太子伝会に読経)

373_報恩講案内号

報恩講厳修
十月三十一日午後一時三十分より十一月一日午後三時まで
報恩講とは私たちの宗祖親鸞聖人のご命日を縁として勤められる年間行事の中で一番大切な仏事です。いわば親鸞聖人のご法事とも言えるものです。
報恩講では皆さんのお念仏の声をそして親鸞聖人のみ教えを共に聞いていきましょう

日  程
10月31日(火)   午後1時30分より 午後のおつとめ
11月  1 日(水) 午前9時30分より 午前のおつとめ
午後1時30分より まとめのおつとめ
勤めの後に毎回お説教があります。
お話しくださるのは 松井 勇さん(南砺市)です。

御文をいただく 其の六十七五帳目第九通③_雑行を棄てて本願に帰す
 これは親鸞聖人の信仰告白ともいえる文章です。この言葉を聞くと思い出す言葉があります。それは九月までやっていたNHKの連続テレビ小説「らんまん」で松坂慶子さんが演じた槙野タキさんが主人公の万太郎に発した言葉「何かを得るということは何かをすてるという事じゃ」という言葉です。
 親鸞聖人は本願に帰すと自分の生き方をあきらかにされるわけです。その信仰告白の言葉に伴って雑行を棄ててという言葉を付け加えられているのです。雑行というのは阿弥陀如来様が建てられた本願に基づかない行いです。本願に帰すということと雑行を棄てるということが同時性をもって語られています。一つの事を二つの側面から表していると言ってもよいのかもしれません。本願に帰するということは雑行を棄てるということなのだという意味も含んでいるのでしょう。
 これもあれも選び取っていくというのは選びではなく、何かを選び取っていくということは何かと決別していくということなのではないでしょうか。今の私たちの生活はこれとは違って、あれもこれもと抱え込んでいって結局、身動きのとれないようになっていってしまう生き方をしていることもこの言葉から教えられているのではないでしょうか。


369_多様性が担保されたということは正解が一つじゃなくなったということ

多様性が担保されたということは正解が一つじゃなくなったということ
 「多様性」ということをよく聞くようになりずいぶんとたっているような気がする。25年前、東本願寺で蓮如上人五百回御遠忌法要の教化テーマが「バラバラでいっしょ~差異を認める世界の発見~」であったと記憶している。これも多様性を認めていこうという方向のものだろう。
 今、外を歩いていてもいろんな言語が聞こえてくる。中国語っぽいもの、タイ語っぽいもの、もしかしたらベトナム語っていうのも。こんな田舎までいろんな国がおられるのが事実。もう多様性の社会になっていると言ってもいいのかもしれない。でも私たちの生活は何も変わらないし、価値観も変わらない。そして自分と異なるものに対してなんとなく拒否反応を起こしてしまっている。日本語でない言語を聞くとなんとなくびっくりする。何を言っているのかわからないということもあるのだろうけど。
 自分と違う言語の人がいるということは違う文化を持っている人がいるということ。いろんな価値観を持った人たちが一緒に暮らしているということ。いろんな価値観を持った人がいるということはいろんな正解を持った人がいるということであると思う。それを認めていくことが大事あり、そしてこれが一番難しい。
 日本人というひとくくりの中でもみんな同じ価値観を持っているのだろうか。いやそうではなくて一人ひとりの人生の中でそれぞれいろんな経験もしてきている。そのなかでそれぞれの価値観を持ち、それぞれの正解を持って生きているのではないだろうか。
 そしてそのところで何度かみんな苦しんでいるはずだ。皆さんも誰も自分を認めてくれないと嘆いたことはなかっただろうか。
 いろんな正解がこの世にあるのだと認識することから多様性社会を私たちが作っていく事ができるのだろうし、一人ひとりを認め尊敬することができるようになっていくのではなかろうか。

368_祠堂経会案内号_御文をいただく 其の六十七五帳目第九通③


御文をいただく 其の六十七 五帳目第九通③

 親鸞聖人がお作りになられた正信偈は「帰命無量寿如来 南無不可思議光」という言葉から始まります。実はどちらも南無阿弥陀仏ということです。親鸞聖人なりに言い直されたことばといえると思います。南無という言葉と帰命という言葉は同じ意味です。南無というのは元々むかしのインドの言葉です。そのインドの言葉の発音を漢字で書き表したのが南無となります。また意味から漢字で表したのが帰命になります。どちらも元々古いインドの言葉ナマスから来ているのです。
 余談ですが、今インドやネパールで交わらされる挨拶の言葉はナマステと言うそうです。あったときだけではなく別れの時も。ナマステはナマスとテに分解できるそうです。ナマスは敬礼・服従するという意味で、テは「あなたに」の意味です。意味からするとあなたを尊敬しますとなります。こういう意味の言葉が挨拶の言葉として使われていることに驚きというか頭がさがる思いがします。
 ナマステのところで書きましたようにナマスとは敬礼・従服を意味する言葉です。帰命という言葉も漢字を見ただけではなかなか意味のわかる言葉ではありませんが、南無と同じ、頭が下がります、という意味になります。ですから南無阿弥陀仏というのは阿弥陀仏に帰依するという意味があるのです。   (つづく)

364 御文をいただく  御文をいただく 其の六十五 五帳目第九通①

彼岸会
 彼岸は年に2回あります。春彼岸と秋彼岸です。 春彼岸は3月の春分の日を中心とした前後7日間、秋彼岸は9月の秋分の日を中心とした前後7日間のことです。 彼岸の始まりは「彼岸の入り」、最終日を「彼岸明け」、そして彼岸の真ん中にあたる春分・秋分の日を「中日(なかび、ちゅうにち)」と呼びます。その期間に勤める法会を彼岸会といいます。
 「彼岸」という言葉は、昔のインド地方の言葉であるサンスクリット語の「パーラミター(波羅蜜多)」が語源です。「向こう岸に至る」という意味があります。ですから彼岸とは私たちが今生きる、苦しみに満ちたこの世とは対照的な向こう側の世界、仏教の理想世界とされる悟りの境地や浄土のことです。
 春分、秋分の日は昼と夜の時間がほとんど同じ日であり、太陽は真東から登り、真西に沈みます。ですから春分・秋分の日は現世と浄土が最も近くなる日とされています。また西方浄土(彼岸)がどちらにあるかわかる日、私たちが進むべき道がはっきりする日なのです。
 お彼岸の日にはお墓参りをしたりして先祖偲びます。また先祖が私(たち)に「あなたも死す身だよ」と私たちに呼びかけてくださっていることに気づいていくことが大切でしょう。限りあるいのちをいただき、今を生きている私はどのように今まで生きてきたのか、だからこれからどのようにこれから生きていかないといけないのか、そういうことを振り返ったり考えたりすることもお彼岸の大切な過ごし方なのではないでしょうか。
 常入寺では毎年、城端別院の巡回法座と併せて彼岸会を勤めさせていただいています。よろしければ是非お参りいただきお説教を聴聞いただきたく思います。本堂を暖かくしてお待ちいたしております。

御文をいただく 其の六十五 五帳目第九通①
 私たちの浄土真宗の教えは南無阿弥陀仏と称えて浄土往生を願い生きていくというものです。しかし私たちの先輩方はただ南無阿弥陀仏と声に出して称えていれば済むものでもないとよくおっしゃいます、安心・信心が大切なのだと。この御文でも「当流の安心の一義といふはただ南無阿弥陀仏の六字のこころなり」と書かれています。安心とは安心する心、信ずる心を意味します。浄土真宗での安らぎの境地とは、ただ南無阿弥陀仏の六字に込められた阿弥陀如来のお心にうなづいていくことですと書きとどめられています。私が今不思議にも称えさせていただいている南無阿弥陀仏というお念仏が、なぜ私のところにやってきたのか、なぜ私が称えてしまっているのか、そういうことを尋ねていくことが大切ですよとおっしゃっておられるのでしょう。

363

2月15日はお釈迦さまが亡くなられた日です

お釈迦さまが亡くなられたことを「涅槃に入られた」といいます。「涅槃」とはさとりの境地、苦しみが消滅した状態を意味します。お釈迦さまがこの世でのいのちを終えたことにより、身体的な苦からも脱して完全な「涅槃」に至ったとすることから、お釈迦さまが亡くなられたことを「涅槃」と称しています。
お釈迦さまは紀元前5世紀ごろルンビニ(ネパールとインドの国境付近)で生まれ、やがて人生の無常を憂い出家されます。そして35歳でさとりを得ます。以後、各地を巡り、煩悩が引きおこす苦しみから逃れ、安らぎを得るという教えを人々に授けました。伝道の旅は、80歳で亡くなられる寸前まで続き、2月15日、旧暦の15日ですから満月の日にお釈迦さまはお亡くなりに成られたと言い伝えられています。お釈迦さまは自分の死が近いことを察しられ弟子たちにこのように説かれました。
「私の亡きあとは、私ではなく自分自身をより所として、また私が伝えた教えを、闇を照らすともしびとして、歩んでゆきなさい」
お釈迦さまは個人崇拝の対象となることを否定され、弟子一人ひとりが確かに、自立して進むことを求めたのでした。
そして
「もろもろの存在は変わりゆく。怠らず精進しなさい。」
という最期の言葉を残し、静かに息をひきとったのでした。
お釈迦さまのご命日を縁として勤めます涅槃会は全国各地で勤められます。また富山ではお釈迦さまのご遺骨を模したものとして4色で彩られた涅槃団子が配られることが多いです。

2023年井波別院巡回布教【布教使変更にないrました】

井波別院巡回法座
日 時 2月12日(日)ごご時30分より午後3時30分まで
場 所 常入寺本堂
布教使 立島秀哲師(小矢部市 称名寺住職)

通信361

 皆さん、今月8日は私たちの教主釈迦牟尼仏がお悟りを開かれた日ということをご存じでしょうか?よろしければ覚えておいてください。
 今から約2500年前、インドの北、現在のネパールの地で、釈迦族の王の子としてお生まれになられたお釈迦様は、29歳の時に世の無常を感じて、約束されていた国王の座や妻子を捨てて出家をされました。6年もの間、厳しい苦行を続けられましたが、苦行をすることでは真理を見いだせないとお気づきになられ苦行をすることをおやめになられました。その後、苦行をされた近くの村でスジャータという娘さんより施された乳粥によって、苦行で疲れ切った身体を癒されました。その後近くにあった菩提樹という木の下で瞑想ををはじめられ、そして12月8日の早朝、暁の明星の輝きとともに、お釈迦様はついにお悟りをお開きになられれたのです。つまり、12月8日はは仏教の教えが生まれた大切な日を意味するのです。
 さてお釈迦さまのお悟りとはどういうものだったのでしょう。しかしこのことを知り納得できたならば仏様となることができます。ですからそう簡単に私たちが理解することは不可能でしょう。しかし方向性のようなものならば私たちは理解できるかもしれません。このことを知るためにはどうしてお釈迦さまが王様になる約束と家族を捨て出家なさったのかということを訪ねていくべきなのでしょう。なぜ出家なさったのかということを知る手がかりとして「四門出遊」という話しが伝えられていると思います。四門出遊の話というのは以下のものです。
 今から約2500年前のインドにお生まれになられたお釈迦様はお母様と産後まもなく死別されたということがあってかいろんな事に敏感になりよく物思いにふけられていたそうです。そのことを心配されてか父である王様は美味しい食べ物毎日与えられたり、楽しいイベントを催されたりしてあまり物思いにふけないように心がけれられ育てられました。ある時、お城の外の暮らしもどんなものか見てみたいと思ったお釈迦様は、家来を連れて、お城の東西南北4つの門から出かけることにしました。東の城門を出られたお釈迦様は、道に、歯がおち腰はまがり杖にたよって歩く老人の姿をご覧になられました。その枯れ木のような老人の姿を見て、人間、誰しもがやがて必ず、あのように老いていかねばならないと、老いの苦しみを痛感されたのです。またある日、南門を出たとき、病人を見られ、人は病むという病苦の現実を深く実感されました。そして西門を出られたときに、葬式の行列を見られました。先ほどまで元気だった人が、青白くなって、もう動かなくなる。そして、焼かれてひとつまみの白骨になってしまう。人は必ず死んでいかねばならない。やがて死ぬのになぜ生きるのだろうか。人間は必ず死んでいくという、死苦の現実をまざまざと知られたのです。最後に北門を出られたとき、出家した僧侶を見て、人間は限りあるいのちを、自分の欲を満たすために生きるのではなく、老いや病や死を超えたなにか普遍的な真理を求めるために生きているのではないだろうか。私も、老いても病んでも、そしていざ死ぬとなっても崩れない本当の幸せになりたい、と、真実の幸福を求める気持ちは日に日に強くなっていかれたのです。これが四門出遊の話です。
 お釈迦様は老・病・死、そして生という人間の避けることのできない苦を見抜かれ、その苦から解放されることを願い出家されたのです。