





本日より明日まで報恩講をお勤めさせていただいています。
講師の方は宗祖親鸞聖人のご生涯について、特に親鸞聖人が法然上人と出会っていくところをお話しくださいました。
親鸞聖人は比叡山を下りて民衆が2~3日籠もるところである六角堂で100日おこもりになる決意をなされたとお教えくださいました。
また、念仏にも仏になるためのお念仏と仏からいただいていると気付いて称える念仏があるのだと教えてくださいました。
本日より明日まで報恩講をお勤めさせていただいています。
講師の方は宗祖親鸞聖人のご生涯について、特に親鸞聖人が法然上人と出会っていくところをお話しくださいました。
親鸞聖人は比叡山を下りて民衆が2~3日籠もるところである六角堂で100日おこもりになる決意をなされたとお教えくださいました。
また、念仏にも仏になるためのお念仏と仏からいただいていると気付いて称える念仏があるのだと教えてくださいました。
15日日曜日の午前中、雨の降る中尼講の方々に来て頂いて報恩講に向けての仏具磨きをしていただきました。とっても綺麗になりました。感謝です。
報恩講厳修
十月三十一日午後一時三十分より十一月一日午後三時まで
報恩講とは私たちの宗祖親鸞聖人のご命日を縁として勤められる年間行事の中で一番大切な仏事です。いわば親鸞聖人のご法事とも言えるものです。
報恩講では皆さんのお念仏の声をそして親鸞聖人のみ教えを共に聞いていきましょう
日 程
10月31日(火) 午後1時30分より 午後のおつとめ
11月 1 日(水) 午前9時30分より 午前のおつとめ
午後1時30分より まとめのおつとめ
勤めの後に毎回お説教があります。
お話しくださるのは 松井 勇さん(南砺市)です。
御文をいただく 其の六十七五帳目第九通③_雑行を棄てて本願に帰す
これは親鸞聖人の信仰告白ともいえる文章です。この言葉を聞くと思い出す言葉があります。それは九月までやっていたNHKの連続テレビ小説「らんまん」で松坂慶子さんが演じた槙野タキさんが主人公の万太郎に発した言葉「何かを得るということは何かをすてるという事じゃ」という言葉です。
親鸞聖人は本願に帰すと自分の生き方をあきらかにされるわけです。その信仰告白の言葉に伴って雑行を棄ててという言葉を付け加えられているのです。雑行というのは阿弥陀如来様が建てられた本願に基づかない行いです。本願に帰すということと雑行を棄てるということが同時性をもって語られています。一つの事を二つの側面から表していると言ってもよいのかもしれません。本願に帰するということは雑行を棄てるということなのだという意味も含んでいるのでしょう。
これもあれも選び取っていくというのは選びではなく、何かを選び取っていくということは何かと決別していくということなのではないでしょうか。今の私たちの生活はこれとは違って、あれもこれもと抱え込んでいって結局、身動きのとれないようになっていってしまう生き方をしていることもこの言葉から教えられているのではないでしょうか。
私はいわゆるテレビっ子です。家にいるといつもテレビを見ています。見ていなくてもテレビがついています。テレビとともに生きていると言っても過言ではないかもしれません。(笑)テレビを見ていると、はっとさせられることがあります。その一つが今月の言葉としてご紹介している言葉、「初めての春じゃ、同じ春は二度とない」という言葉です。これはNHKの連続テレビ小説「らんまん」聞き取った言葉です。この言葉を受けて「初めての報恩講です。同じ報恩講は二度とない。」このような言葉を発したくなっています。今報恩講に向けて少しずつ準備をしているからでしょうか。
皆さんはこの世に生をうけ何回目の秋を迎えられているでしょうか。その中で同じ秋はなかったはずです。毎年何かが違っていたのではないでしょうか。そういう意味で同じ秋はないのです。また秋とはこういうものだという思いで秋を過ごしてしまうと、いつもと違う秋と出会うことが難しくなるかも知れませんね。何事も初事として出会っていく事が大事だといえることでしょう。
さて当寺の報恩講も本年も勤めさせていただきます。皆様にとっては何回目の報恩講の案内でしょうか。報恩講も毎年勤めさせていただいていますが、今まで同じものはありません。報恩講の中でいろんな出会いや気づきがあります。毎年同じ内容ですが、私の受け取りは毎年違うものがあります。
皆さん方も是非当寺の報恩講にお参りください。その中で懐かしさに出会ったり、新たな気づきをもたらしてくださるかもしれません。初事としてお参りください。おまちいたしております。