祠堂経会を勤めさせていただきました

6月18日より19日まで暑い中沢山のお参りをいただき当寺の祠堂経会を勤めさせていただきました。また沢山の懇志金をお運びいただきありがとうございました。大切に使わせていただきます。
講師として富山教区の駐在教導に無理を言ってご出講いただきました。心より御礼申し上げます。
二日間に私本当の幸せということについてお話しいただきました。

368_祠堂経会案内号_御文をいただく 其の六十七五帳目第九通③


御文をいただく 其の六十七 五帳目第九通③

 親鸞聖人がお作りになられた正信偈は「帰命無量寿如来 南無不可思議光」という言葉から始まります。実はどちらも南無阿弥陀仏ということです。親鸞聖人なりに言い直されたことばといえると思います。南無という言葉と帰命という言葉は同じ意味です。南無というのは元々むかしのインドの言葉です。そのインドの言葉の発音を漢字で書き表したのが南無となります。また意味から漢字で表したのが帰命になります。どちらも元々古いインドの言葉ナマスから来ているのです。
 余談ですが、今インドやネパールで交わらされる挨拶の言葉はナマステと言うそうです。あったときだけではなく別れの時も。ナマステはナマスとテに分解できるそうです。ナマスは敬礼・服従するという意味で、テは「あなたに」の意味です。意味からするとあなたを尊敬しますとなります。こういう意味の言葉が挨拶の言葉として使われていることに驚きというか頭がさがる思いがします。
 ナマステのところで書きましたようにナマスとは敬礼・従服を意味する言葉です。帰命という言葉も漢字を見ただけではなかなか意味のわかる言葉ではありませんが、南無と同じ、頭が下がります、という意味になります。ですから南無阿弥陀仏というのは阿弥陀仏に帰依するという意味があるのです。   (つづく)