ごぼはんだより415号報恩講案内号を発行しました

2026年 常入寺 報恩講のご案内

今年も常入寺では、**11月21日(土)・22日(日)**の二日間、報恩講をお勤めいたします。

報恩講は、宗祖・親鸞聖人のご命日にあたり、聖人が明らかにされた阿弥陀如来の本願の教えに出遇う、浄土真宗にとって大切なご縁です。

当日は、正信偈をお勤めし、阿弥陀さまのお話(法話)をお聴聞します。お勤めや法話を通して、日々の暮らしの中ではなかなか立ち止まることのできない私たちが、あらためて自分自身を見つめる時間をいただきたいと思います。

初めての方も、どうぞお気軽にお参りください。作法や服装を気にしていただく必要はありません。

日時
2026年11月21日(土)13:30〜15:30
2026年11月22日(日)13:30〜15:30
※両日とも同じ内容です。

会場
常入寺(富山市東老田787)

駐車場もございます。

お聴聞し、共に味わい、共に歩むご縁に。
皆さまのお参りをお待ちしております。

 

そのままのおたすけ

苦しいことやつらいことに出遇ったとき、「何とかしなければ」と、もがくことがあります。そこから抜け出そうと懸命になることもあるでしょう。

けれども、いつももがけるとは限りません。何とかしようという気力さえなくなり、立ち止まってしまうこともあります。

「がんばれ」と言われても、がんばれない。前を向こうと言われても、前を向くことができない。そんな自分を見て、「こんな自分ではだめだ」と思ってしまうこともあります。

仏さまの教えは、そんな私に「もっとがんばりなさい」と呼びかけるものではありません。

もがいている私も、もがくことさえできない私も、見捨てることなく、はたらき続けてくださる。それが阿弥陀さまです。

だから、もがいてもいい。もがけなくてもいい。

「そのままのおたすけ」という言葉があります。「そのまま」とは、何もしなくてもいい、自分はこのままでいい、ということではありません。

私たちは、自分の都合で人を見たり、比べたり、時には人を傷つけたりもします。そして、そんな自分の姿に気づかされることもあります。

阿弥陀さまは、そんな私が立派な人間になったら救おうというのではありません。迷い、悩み、立ち止まってしまう私を、そのまま見捨てることなく、はたらき続けてくださいます。

どんな私であっても、見捨てられてはいない。そのことに気づかされていくところに、念仏の教えがあるのではないでしょうか。

 

 

報恩講とは

宗祖・親鸞聖人のご法事である「報恩講(ほうおんこう)」。古くから地域や家庭では「ほんこはん」「報恩講様」と親しみを込めて呼ばれ、浄土真宗の門徒にとって、一年の中で最も大切にされてきた仏事です。

この法要の歴史は、親鸞聖人がご往生されてからまもなく始まり、七百五十年以上もの間、勤め続けられてきました。戦乱の時代であっても、天災や疫病に苦しむ年であっても、その歩みが途絶えることはありませんでした。

そして報恩講は、本山や別院といった大きなお寺だけで勤められてきたものではありません。地域のお寺はもちろん、それぞれの門徒の家庭でも勤められ、先祖から子へ、孫へと受け継がれてきました。

では、なぜこれほどまでに長く、この仏事が大切にされてきたのでしょうか。

報恩講は、親鸞聖人によってお念仏が私へと伝わったことに感謝し、親鸞聖人をはじめ、本当にたくさんの方々によって今日まで喜び、伝えられてきた「感謝の歴史」を尋ねるご縁でもあるからです。

親鸞聖人が伝えてくださったお念仏。それが何百年もの時を超えて今の私にまで届くために、どれほど多くの人々の歩みや願いがあったことでしょう。名もなき多くの人々、そして我が家の先祖たちが、日々の暮らしの中で「南無阿弥陀仏」を称え、手渡してくれたからこそ、今の私がお念仏に遇うことができます。

「ようこそ、今年もほんこはんを勤めることができた」

今年も報恩講をご縁に、お念仏を伝える長い歴史のなかに私も生かされている有り難さを、共に味わわせていただきましょう。

 

親鸞聖人の生涯

浄土真宗の宗祖・親鸞聖人は、戦乱や災害が相次いだ平安時代末期から鎌倉時代にかけて、90年のご生涯を送られました。

誕生と出家(9歳)

1173(承安3)年、親鸞聖人は京都にお生まれになりました。父・日野有範は朝廷に仕える役人でしたが、母については詳しいことはわかっていません。
9歳の時、後の天台座主・慈円のもとで出家され、それから20年間、比叡山延暦寺で厳しい修行と学問に励まれました。しかし、どれだけ修行と学問に励んでも、さとりに至る道を見出すことはできませんでした。

法然上人との出遇い(29歳)

29歳の時、親鸞聖人は比叡山を下り、道を求めて聖徳太子ゆかりの六角堂に籠られました。そして95日目の暁、聖徳太子の夢告に導かれ、法然上人のもとを訪ねられます。
法然上人は、身分や立場を問わず「ただ念仏もうしなさい」と説いておられました。親鸞聖人は、この教えこそすべての人に開かれた仏道であるとうなずかれ、法然上人を生涯の師と仰ぎ、念仏者として歩み出されました。
法然上人のもとで約6年間過ごされ、その間に主著『選択本願念仏集』の書写と真影(肖像画)の製作を許されました。また、恵信尼公と出遇い、結婚されたのもこの頃とされています。

越後・関東での生活(35歳から60歳ごろ)

法然上人の念仏の教えは、老若男女、身分を問わず多くの人々に広まりました。しかし、興福寺や延暦寺などから強い反発を受け、朝廷による弾圧が行われます。その結果、4人が死罪、8人が流罪となり、法然上人は土佐(現在の高知県)へ、親鸞聖人は越後(現在の新潟県)へ流されました。35歳の時でした。
5年後、流罪を許された親鸞聖人は、やがて関東へ向かわれます。そこで約20年間、常陸(現在の茨城県)の稲田を中心に、念仏の教えを伝えられました。
また、この地で主著『顕浄土真実教行証文類』(『教行信証』)を書き始められたとされています。

京都での生活(60歳ごろから90歳)

60歳ごろ、親鸞聖人は関東から京都へ戻られたといわれています。
その後、関東では念仏の受けとめをめぐって混乱や対立が起こりました。そのなかで、長男・慈信房善鸞と親子の縁を切るという悲しい出来事もありました。
親鸞聖人は『教行信証』を書きすすめるとともに、同朋・同行に手紙や書物を送り、念仏の教えを伝え続けられました。
12631月16日(弘長2年年11月28日)、親鸞聖人は90年の生涯を終えられました。末娘・覚信尼公ら家族や門弟たちが最期を看取り、葬儀を行ったといいます。
遺骨は大谷(現在の京都市東山区)に納められ、後に廟堂が建てられました。そこには関東をはじめとする門弟たちが参拝し、聖人をしのび、その教えを聞き続けました。
 その歩みが、現在の東本願寺・真宗本廟へと受け継がれています。

※弘長2年11月28日は、現在の暦では1263年1月16日にあたります。真宗大谷派では「11月28日」を親鸞聖人のご命日としていただき、報恩講をお勤めしています。

 

お寺でお葬式をしませんか

 私が子どもの頃は、お寺を会場にしてお葬式が勤まることがよくありました。
 昨今は葬儀ホールが各地にでき、冷暖房も完備され、さまざまな設備やサービスも整っています。とても便利ですし、私も葬儀ホールでのお葬式を否定するつもりはまったくありません。
ただ、葬儀にかかる費用が気になる方や、身近な方だけで小規模なお葬式をしたいと思っておられる方には、「お寺の本堂でのお葬式」という選択肢もあります。
 お寺の本堂は、葬儀のためにつくられた施設ではありません。冷暖房も完備していませんので、真夏や真冬には適していませんし、葬儀ホールのような至れり尽くせりの設備やサービスもありません。
 その一方で、日頃お参りしている阿弥陀さまの前で、 亡き方をご縁として、家族や身近な方々とともにお勤めをすることができます。いわゆる「家族葬」と呼ばれるような、参詣される方の少ないお葬式には、本堂はちょうどよい場所ではないかと思っています。
 本堂を使用するための決まった料金もありません。お気持ちで結構です。
 「お寺でお葬式をしてみようかな」と思われましたら、葬儀会社さんとの打ち合わせの際に、「お寺でお葬式がしたい」とお伝えください。
葬儀ホールだけでなく、お寺の本堂で送るという選択肢もあることを、覚えておいていただければと思います。

 

お道具磨き


10月18日(日)午前9時~11時
報恩講をお迎えするにあたって仏具を皆さんと一緒に磨きます。尼講の方々を中心として行いますが尼講員でない方もよろしければご参加ください。男性の方もご参加ください。大歓迎です。
よろしければ磨き用のタオルを一枚ご持参ください。

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