人の話を聞いているとき、
「なんだこいつは!」
と思うことがあります。
私なんかは、その瞬間に沸騰してしまうこともあります。
でも、人によって反応はいろいろでしょう。
腹が立つ人もいれば、「この人とは合わないな」と思う人もいる。
「はいはい、またか」とあきれる人もいれば、急にどうでもよくなってしまう人もいるかもしれません。
ただ、そこには一つ、共通することがあるように思います。
その瞬間から、相手の話を「聞く」ことをやめてしまうのです。
もちろん、耳には聞こえています。
その場から立ち去るわけでもありません。
相手の話が終わるまで、ちゃんと座っていることだってあります。
それでも心の中では、もう相手を
「腹の立つ人」
「分かっていない人」
「私とは合わない人」
と決めてしまっている。
そうなると、その人が何を言っても、なかなか言葉が入ってきません。
耳は開いているけれど、聞くことはお休み。
「私の耳は日曜日」です。
人の話を聞くということは、案外難しいものです。
自分と同じ意見なら、いくらでも聞けます。
「そうそう、その通り」とうなずくこともできます。
難しいのは、自分とは違う言葉、自分にとって都合の悪い言葉に出会ったときです。
「そんな考え方もあるのか」と聞けるのか。
それとも、「なんだこいつは」と思ったところで、その人の言葉まで切り捨ててしまうのか。
しかも厄介なことに、聞くことをやめてしまった本人は、
「私はちゃんと聞いた」
と思っていたりします。
仏さまの教えを聞くことを「聞法(もんぽう)」といいます。
聞法というと、ありがたいお話を聞いて、なるほどと納得することのように思うかもしれません。
けれど、本当に聞くということは、自分にとって都合のいい話を受け入れることだけではないのでしょう。
聞きたくない。
認めたくない。
腹が立つ。
そんなときに、
「ああ、私は今、この人の言葉を聞けなくなっている」
と知らされる。
聞けない私に気づかされること自体が、聞法なのではないでしょうか。
「なんだこいつは!」と思った瞬間。
そこに見えてくるのは、腹の立つ相手の姿だけではありません。
人をひとたび「こういう人だ」と決めてしまうと、その人の言葉を聞けなくなってしまう私の姿も、そこに現れています。
だから、「なんだこいつは!」と思ったときこそ、ちょっと自分の耳を確かめてみたい。
あれ?
私の耳、今日は日曜日になっていないだろうか。
