
私たちは時に、自分の小ささに立ちすくみ「自分は無力だ」と嘆いてしまうことがあります。大きな時代の流れや、思い通りにならない現実を前に、自らの力の限界を感じてしまうからでしょう。けれど浄土真宗の教えが照らすのは、その「無力さ」という自覚を抱えたままの私たちが、実は大きな慈悲の中にまるごと包まれ、生かされているという真実です。
自分の計らい(自力)だけで全てを成し遂げようと力めば、いつか必ず壁に突き当たり、心は折れてしまいます。しかし、「ひとりには、ひとりぶんの力が備わっている」という言葉は、阿弥陀様から「あなたにしかできない、あなたに相応しい歩みが必ずあるのだよ」と呼びかけられている、温かな励ましに他なりません。
日々の食事を丁寧に整え、場を清め、誰かの言葉に静かに耳を傾ける。そんな「ひとりぶん」のささやかな営みの中にこそ、目に見えない大きな働き(他力)が満ち溢れています。その一歩は、たとえ小さく見えても、広大な他力の海に支えられた、決して揺らぐことのない尊い一歩なのです。
「自分一人で頑張らねば」という気負いを手放し、大きな慈悲に身を委ねたとき、不思議と「もう一歩、歩んでみよう」という静かな力が内側から湧いてくるものです。今日もまた、与えられた「ひとりぶん」の命を、光に照らされながら、精一杯に、そして安らかに。
