
働いて、働いて、働いて、働いてまいります
この言葉は、ある政治家が総理就任の際に語った「働いて、働いて、働いて、働いてまいります」という決意表明を聞いて思いついた法語です。
あの言葉を耳にしたとき、私は少し心配になりました。
もちろん、国のために懸命に働こうという決意そのものは尊いことです。
しかし、その言葉を聞いた多くの人、とりわけ部下や職員はどう受け止めるだろうか、と考えたのです。
「トップがそこまで働くのだから、自分たちも働かなければならない。」
そんな空気が生まれはしないだろうか。
休むことや立ち止まることさえ、許されない社会になってしまわないだろうか。
そんな危惧を抱きました。
人間は、働くためだけに生きているのではありません。
疲れることもあります。迷うこともあります。休まなければ前へ進めないこともあります。
だからこそ、「働いて、働いて、働いて、働いてまいります」と本当に言えるのは、人間ではないのではないかと思ったのです。
そこで私は、この言葉をお借りして、
「阿弥陀如来は『働いて、働いて、働いて、働いてまいります』」
という法語を作りました。
阿弥陀さまのはたらきには、過労もありません。見返りも求めません。誰かを追い立てることもありません。
私が仏さまを忘れているときも、自分勝手に生きているときも、迷い苦しんでいるときも、変わることなく私に向かってはたらき続けてくださっています。
その願いに気づかされたとき、「申し訳ない」という思いが湧いてきます。
けれど、正直に言えば、私はいつもそんな心ではありません。
だから、この法語の最後に、
「よく考えれば俺がそんなこと思うはずがない。でも思いたい。」
と添えました。
仏さまの限りないはたらきに出遇うたび、そのご恩を「もったいない」と受け止められる私でありたい。その願いを育てていただくことこそ、聞法なのだと思います。
