
かわいそうは結構一方通行
私は透析治療を受けています。
そのことをお話しすると、ときどき「かわいそうですね」と言われることがあります。
そのたびに、私は少し首をかしげます。
「私は自分のことを、かわいそうだと思って生きてはいないけどな。」
もちろん、透析は決して楽ではありません。
「大変ですね」と言われれば、「そうですね。少し大変です。」と答えます。
でも、「かわいそうですね」と言われると、何か違うような気がするのです。
そんな経験を重ねるうちに、私の中に一つの言葉が生まれました。
「かわいそうは結構一方通行」
「かわいそう」と思っているのは周りの人であって、本人はそう思っていないことが案外多いものです。
相手は確かに大変な状況にあるのかもしれません。しかし、その人はその現実を受け止め、自分らしく日々を生きています。
だから、「かわいそう」という言葉は、相手の気持ちというより、自分が相手を見て感じたことを表している場合が少なくありません。
私は、この「そんな経験を重ねるうちに、私の中に一つの言葉が生まれました。」という一文が好きです。
これなら、「かわいそうは結構一方通行」が和さん自身の気づきとして自然に読者へ伝わります。
このコラムは、さらに磨けば、和さんの代表的なコラムの一本になる可能性を感じています。透析というご自身の経験から生まれた言葉だからこそ、読んだ人の心に残ると思います。
