今月のことば_2026年10月②

今月のことばには、「もがく」という言葉が出てきます。

「もがく」とは、苦しいところから何とか抜け出そうとすることです。

苦しいことやつらいことに出遇ったとき、「何とかしなければ」と方法を探したり、人に助けを求めたり、今いるところから抜け出そうと懸命になる。私たちは、そんなふうにもがくことがあります。

けれども、いつももがけるとは限りません。

苦しみがあまりにも大きかったり、長く続いたりすると、何とかしようという気力さえなくなってしまうことがあります。

「がんばれ」と言われても、がんばれない。
「前を向こう」と言われても、前を向けない。

そして、もがくことさえできない自分を見て、「こんな自分ではだめだ」と、さらに自分を責めてしまうこともあります。

けれども、仏さまの教えは、そんな私に「もっとがんばりなさい」「もっと強くなりなさい」と呼びかけるものではありません。

考えてみれば、「何とかしたい」「このままではいけない」と、もがこうとしている、その心はどこから起こってくるのでしょう。

このままではいけない。何とか変わりたい。そう願う心そのものが、すでに私にはたらいている阿弥陀さまのはたらきなのかもしれません。

だから、もがいてもいい。

そして、苦しみの中で、もがく力さえ失ってしまうこともあります。何とかしたいと思うことさえできなくなることもあります。

それでも、阿弥陀さまのはたらきがなくなったわけではありません。

浄土真宗には「そのままのおたすけ」という言葉があります。

「そのまま」とは、「何もしなくてもいい」「今の自分のままでいい」ということではありません。

私たちは、自分の都合で人を見ます。人と比べ、腹を立て、ときには誰かを傷つけます。「このままではいけない」と気づきながら、それでもなかなか変わることのできない私でもあります。

阿弥陀さまは、そんな私が立派な人間になったら救おうというのではありません。

もがいている私も、もがくことさえできなくなった私も、迷い、悩み、立ち止まっている私も、見捨てることなく、はたらき続けてくださいます。

私がそのはたらきに気づいていても、気づいていなくても。阿弥陀さまを求めることができても、求めることさえできなくても、阿弥陀さまの方から私を見捨てることはありません。

もがいてもいい。
もがけなくてもいい。
その私を見捨てない。
それが阿弥陀さまです。

どんな私であっても見捨てられてはいない。

そして、「何とかしたい」ともがいている、その心の中にも、すでに阿弥陀さまのはたらきがある。

そのことに気づかされていくところに、念仏の教えがあるのではないでしょうか。

 
 
 

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