今年も、広島の子どもたちによる「平和への誓い」を「今月のことば」として掲載します。
実は今年、掲載することを少し迷いました。
毎年、子どもたちの言葉はとても分かりやすく、素直に心に入ってきます。だからこそ長年掲載してきました。しかし一方で、広島に生きる子どもたちに「平和を語る」という役割を、私たち大人が背負わせてはいないだろうか。そんなことも思うようになったからです。
平和な社会をつくる責任は、本来、大人である私たちにあります。それなのに、毎年子どもたちに「平和への誓い」を語ってもらい、それを聞いた大人が「いいことを言うね」と感心しているだけでは、何か違うような気もします。
そんなことを思いながら今年の「平和への誓い」を読みました。
その中で私の心に残ったのが、「相手の気持ちを想像し、意見の違いがあっても認め、受け止めること」という言葉でした。
子どもたちは、何か特別なことをしなさいと言っているのではありません。
相手の気持ちを想像する。違いを認める。受け止める。そして、自分にできる小さなことをする。
私はこれを読んで、平和への第一歩とは「共生」なのかもしれないと思いました。
最近は「多様性」という言葉をよく耳にします。いろいろな人がいていい。考え方も、生き方も、人それぞれでいい。私もそう思います。
でも、「人それぞれだから」で終わってしまっていいのでしょうか。
「あなたはあなた、私は私。好きに生きればいい。」
それでは、多様性を認めているようで、ただお互いに無関心になっているだけなのかもしれません。
どんな人も、それぞれに悲しみや苦しみを抱えながら生きているのではないでしょうか。
もちろん、その悲しみや苦しみを、他人である私が全部分かることなどできません。外から幸せそうに見える人にも、私の知らない悲しみがあるかもしれません。その人にしか分からない苦しみがあるでしょう。
だからこそ、「分からないから関係ない」ではなく、「分からないから聞く」ということが大切なのではないでしょうか。
「あなたには、私の知らない悲しみがあるのですね。」
そう思って、その人の声に耳を傾ける。そこから本当の意味での多様性、そして共生が始まるように思います。
七月の「今月のことば②」には、沖縄の高校生・亀谷琉奈さんの平和の詩「生きたいと願った証」から、「平和は当たり前でない たくさんのひとの涙と苦しみと『生きたい』という願いの上にある」という言葉を掲載しました。
今回、広島の「平和への誓い」を読んでいると、この言葉と重なって聞こえてきました。
広島には広島の悲しみがあります。沖縄には沖縄の悲しみがあります。
大切な人を奪われた悲しみ。「生きたい」と願いながら生きることのできなかった人の悲しみ。そして、生き残った人たちが抱え続けてきた悲しみ。
その悲しみを、私は本当の意味で理解することはできません。
でも、私にも私の悲しみがあります。
もちろん、私の悲しみと広島や沖縄の悲しみを比べることはできません。それでも、悲しみを抱えて生きる一人の人間として、他者の悲しみに耳を傾けることはできるのではないでしょうか。
悲しみを知るからこそ、人の悲しみを想像する。そして、「あなたの悲しみを全部分かることはできないけれど、聞かせてください」と耳を傾ける。
それが、ともに生きるということなのかもしれません。
ただ、ここまで書いて、自分自身の歩みを振り返ると、私は本当にそのように生きてきただろうかと思わずにはいられません。
人の悲しみに耳を傾けるより、自分の思いを押し通してきたこともあります。自分とは違う考えを受け止められず、相手を遠ざけたこともあります。知らず知らずのうちに人を傷つけ、共生とは反対の生き方をしてきたこともあったでしょう。
共生という願いは理解できます。しかし、それを自分の生き方として実現することは、なかなか難しいものです。
だからこそ今年は、子どもたちの「平和への誓い」を、立派な言葉として眺めるだけでは終わりたくありません。
「相手の気持ちを想像し、意見の違いがあっても認め、受け止めること。」
本当は、このようなことを子どもたちに言わせ続けるのではなく、私たち大人が生き方として示さなければならないのでしょう。
そして同時に、この言葉は世界に向けられた平和への呼びかけであるだけでなく、この私自身に向けられた問いでもあります。
平和は、どこか遠いところから始まるのではありません。
目の前にいる人にも、私には見えない悲しみがあることに気づく。その声に耳を傾ける。違いがあっても、その人とともに生きようとする。
広島の人々の悲しみも、沖縄の人々の悲しみも、そして私のすぐ隣にいる人の悲しみも、「自分とは関係のない悲しみ」にしてしまわない。
人の悲しみに気づき、その声に耳を傾ける。
私にはなかなかできないことだからこそ、そうありたいと願い続ける。
その小さな歩みが、平和への一歩になるのかもしれません。
