
死者を慰めるのではない
死者から教えを学ぶ
それが仏法だ
大切な人を亡くすと、私たちは亡き人のことが心配になります。
死後の世界は、誰も経験したことがありません。だから、「今どうしておられるのだろう」「寂しい思いをしておられないだろうか」「苦しんではおられないだろうか」と、さまざまな思いが湧いてきます。
知らない世界だからこそ、不安になるのは、ごく自然なことです。
けれど私は、法事の席でよくこんなお話をします。
「私たちが亡き人を心配している以上に、亡き人は私たちのことを心配し、見守ってくださっているのではないでしょうか。」
親が子を案じるように、祖父母が孫を気にかけるように、亡き人とのご縁は、亡くなったからといってなくなるものではありません。
だから法事は、亡き人を慰めるためだけの場ではありません。亡き人をご縁として仏法に出遇い、自らの生き方を問い直す大切な聞法の場でもあります。
私が学生時代にお世話になった池田先生は、『聞法日めぐり』に、
「死者を慰めるのではない。死者から教えを学ぶ。それが仏法だ。」
と書きとどめておられます。
この言葉も、そのように味わわせていただくことができるのではないでしょうか。
