失ったことの悲しみは深いそれでも 失ったからこそ気づかされるものもある
それまで自分のすべてだった世界が、ある日突然、足元から崩れ落ちてしまう。大切なものを失うとは、まさに身を引き裂かれるような出来事です。
ぽっかりと空いた大きな空白を前に、私たちはただ立ち尽くすしかありません。「前を向こう」なんて言葉は今の傷口にはあまりにも冷たく、遠くの出来事のように響くだけです。今はただ、胸の奥がじりじりと焼けるように痛む。涙が枯れるほどに苦しい。その暗闇の底で、一人震えているのが精一杯のはずです。
「失ったからこそ、気づかされるものもある」
この言葉は、決して「悲しめばすぐに素晴らしい気づきが得られる」というような、安易なものではありません。心が完全に閉ざされているときには、どんな慰めも届かず、何も見えないことの方がむしろ自然です。
けれど、ただただ悲しみと共に佇み、長い時間をかけてその痛みに馴染んでいったその先に、ふと、本当に「そういうこともある」としか言えないような、静かな瞬間が訪れることがあります。それは、失った存在が遺してくれた、今も胸の奥で光り続ける優しさ。その存在が消え去ったのち、皮肉にもその「不在の大きさ」によって、かつてどれほど深い愛を注がれていたのかに、ある日ふと気づかされる。そして同時に、今、私の周りにいる人たちの不器用な優しさが、かすかに目に映るようになる。 言葉にならない私の沈黙を、ただ一緒に座って待ってくれた人の眼差し。「何かできることはないか」と遠くから心を寄せてくれる気遣い。それらは、自分が満たされているときには、あまりにも当たり前すぎて見落としていたものでした。
必ずしも、すぐに前を向けるわけではありません。何も見えない暗闇が続くことだってあります。けれど、失った悲しみは消えないまま、胸の傷口が開いたままだからこそ、そこから先立った人の愛と、今支えてくれる人の温もりという二つの優しさが、じんわりと染み込んでくる「こともある」。そのかすかな光を頼りに、私たちはたくさんの優しさに守られながら、静かに、これからの人生を歩み始めるのです。