
だから、無理して夢を持つ必要はないんだよ
「だから、無理して夢を持つ必要はないんだよ。私たちは阿弥陀さんの願い(夢)に促されて生きてあります。」
以前、テレビで若者たちに向かって、「夢を持て!」と力強く語っている方がおられました。
夢を持つことは素晴らしいことです。夢に向かって努力する人を応援したいとも思います。
しかし、その言葉を聞きながら、私はどこか引っかかるものを感じました。
夢を持ちたくても持てない人がおられます。
家庭の事情や経済的な理由、病気や障がい、人それぞれの置かれた環境によって、自分の夢を諦めざるを得なかった人も少なくありません。
そういう現実があるにもかかわらず、「夢を持て」とだけ言われると、その言葉が人を励ます言葉ではなく、人を追い詰める言葉になってしまうこともあるのではないでしょうか。
「諦」という字には、「あきらめる」という意味だけではなく、「あきらかにする」という意味もあります。
現実があきらかになるからこそ、諦めざるを得ないことがあります。
それは決して弱さではありません。現実を見つめているからこその姿でもあるのでしょう。
だから私は、「夢が持てない自分」を責める必要はないと思うのです。
浄土真宗では、私たちが夢を持てるかどうかよりも、阿弥陀さまが私たちにどのような願いをかけてくださっているかを大切にします。
自分の夢があるなら、その夢に向かって歩めばよいでしょう。
でも、夢が見えない時があってもいい。
夢を持てない自分がいてもいい。
そんな私にも、阿弥陀さまは「あなたを見捨てない」という大きな願いをかけ続けてくださっています。
私が夢を持てなくても、阿弥陀さまは私に夢を持ち続けてくださっている。
そういただくとき、「夢を持たなければ」という焦りから少し解放され、自分に与えられたいのちを、安心して歩んでいけるような気がするのです。
