341御文をいただく其の五九五帳目第八通③

阿弥陀如来はなぜ私たちを容易に極楽に生まれさせようとなさったのか

 阿弥陀如来様は元々仏という存在であったわけではありません。法蔵菩薩という名前の菩薩様でありました。その法蔵菩薩であられた頃、仏になる修行をなさるわけです。ただ仏になればよいという考えで修行をなさっておられたわけではなく、どんな人でもすくいとる仏になりたいと思っておられました。そして法蔵菩薩は他の仏様に認められ阿弥陀仏という仏様になられました。仏になられてもあらゆる人をすくい取りたいという思いはなくなっていませんでした。
 才能があったり努力が持続する方ならば、阿弥陀さまがなされたような仏になる修行をその人に教えても達成することはできるでしょうが、才能がなかったり、修行をしたくてもできない環境の方はそうは行きません。ですから阿弥陀如来様は厳しい修行を求めたのではなく、ただ救われたいという気持ちを持ち続けなさい、そうするといつか必ず浄土(極楽)という世界に生まれさせてやり、その国で身も心もきよらかにして、やがて仏とならし」めてあげようと誓われたのです。
 阿弥陀さまは私たちにご褒美として容易に極楽に生まれさせようとなさったのではなく、私たちを見てこういう私たちには容易な道しか無理だと思いわざわざ念仏往生の道をお建てになられたのです。いわば大いなる悲しみから発った救いの道なのです。
 私の身が明らかなればなるほど、自分の愚かさが身にしみれば身にしみるほど私たちは阿弥陀さまのご苦労が理解できるのではないでしょうが、また阿弥陀さまの救いのありがたさに頷くことができるのではないでしょうか。私たちの先祖をはじめとする念仏を称えてこられた方々は本当に念仏を称えながら自分の元にまで届いた念仏をありがたく思われていたことでしょう。

338

御文をいただく 其の五八五帳目第八通② 南無阿弥陀仏という仏様

 阿弥陀如来様のおはたらきは、ふたごころなく念仏を称えとなえたものを浄土に生まれさせ、やがて仏になさしめてくださるというものです。しかしそれだけではなく、私に念仏をなんとか称えさせようと、私のまわりで念仏の声をいろんな方のすがたを借りて響き渡らせてくださったり、その他いろんな私にはたらきかけをくださったりしていただいているのです。これも阿弥陀さまの大事なおはたらきです。阿弥陀さまが南無阿弥陀仏という言葉となって今までそしてこれからも現れてくださるのです。時たまでもたまたまでも念仏が称えられているのは阿弥陀さまのおかけです。まだ念仏が一言も称えることができない人にも阿弥陀さまははたらき続けられています。
 そのために阿弥陀さまはとてつもない長い間修行をされ、長い間考え抜かれて本願という仏になる誓いを建てられ他の多くの仏様から仏と認められたのです。
 私たちは阿弥陀さまのおはたらきがあってやっとここまでできるようになったのです。仏になる道を不思議にも歩もうとしているのです。

335

お経
 皆さんはNHKの『チコちゃんにしかられる』という番組を見たことありますか?私は毎回と言っていいほどよく見ています。とても面白い番組ですね。わかっているようで本当はわかってないことを面白おかしくあきらかにしていく大好きな番組です。
 その12月はじめ頃の放送で仏教の基本となる質問をチコちゃんはしていました。みなさんおぼえておられるでしょうか。その質問というのは「お経って何?」っていうものでした。さて皆さんは皆さんは5歳のチコちゃんにどのように応えますか?
 さて私住職がまずお応えしましょう。チコちゃんのようなわかりやすい答えではないと思いますが、ご容赦ください。お経というのは仏教を開かれたお釈迦さま、ゴータシッタルダのお言葉が収められています。お釈迦さまが書かれたものではありません。お釈迦さまが涅槃に入られ(一言で言えば亡くなられたということ)しばらくした後お釈迦さまのお弟子さん方が、お釈迦さまがお弟子さん方に諭されたお言葉を後世にもしっかり伝えていこうということになり、文字に書きとどめておこうとされました。それが今私たちが読んでいますお経なのです。いわば私たちが悟りを開くためのアドバイス、私たちが人間として生きていくためのアドバイスが書かれているのです。そういう視点からいうとお経は亡くなられた方に読んであげるものではなく、今生きている私たちが聞いていかなければならないものとなるのです。
 法事などの時、僧侶は仏壇に向かってお経を読誦していますので誤解されていたかもしれませんが…。実は僧侶は仏様の代わりに声に出してお経を読んで、そして僧侶もお経様を聞いているのです。僧侶を含めた人間みんながお釈迦様の私たちへのお諭しを大切な言葉として聞いている姿が法事の場のすがたなのです。
 ただ私たち僧侶が読誦しているお経は漢文をそのまま読んでいますので聞いていても何を言っているのはわからないのが現状です。ですから浄土真宗ではよくお経の後にお説教として読誦したお経のお心が話されるのです。お経の内容をしっかり知りたいというお方は住職まで申し出てください。ゆっくりお伝えさせていただきます。
 漢文をそのままを聞いているので意味は全く伝わらないかもしれませんが、ただ聞いているときは少なくてもお釈迦様からの尊いアドバイスなんだと思って聞いてください。お願いします。

御文をいただく 其の五七五帳目第八通①

番外編
 月参りの時拝読文として読まさせていただいている御文が一月から変わりました。本来というか、順番でいえば五帖目の第七通になるのですが、いろいろ考えた末、一つ飛ばして第八通にしました。その理由は内容が悪いということではなく、私が皆さんと一緒に読む気になれないということです。一つ飛ばした御文の冒頭には今の概念からすると女性を蔑視しているような表現があります。今年から読ませていただいている御文にも同じ表現があるのですが…。飛ばしたものには露骨というか、断定されていますので、なおさら躊躇していまいます。
 私は近頃、共生社会の実現が大事だと思い生活しています。そのなかでも性別による役割分担など性差別を少しずつ取り払って行かなくては思っています。思っているだけで私自身変わらないのですが、でもそうしたいと思っています。そのなかで冒頭から「女性は五障三従だ」と断定している言葉がのっているものを皆さんと一緒に声を出して読むということに違和感を覚えたわけです。七通目に全く教えがないとは思ってませんが。
 ということで今回はとりあえず一つ飛ばして皆さんと読んでいこうと思っています。よろしくお願いいたします。

涅槃会兼井波別院巡回法座
日時 2月7日(日)午後1時30分より3時30分まで
会場 常入寺本堂   布教使 未 定
参加費 無  料(ただし、何度かお賽銭を集めさせていただきます。)
また、井波別院への祠堂並びに万人講の受付をいたします。
※新型コロナウイルス感染症拡散予防のためマスクをつけてお越しください。

331 報恩講案内号 

報恩講厳修
十月三十一日午後二時より十一月一日午後三時まで

報恩講では
お念仏の声を共に聞いていきましょう

10月31日(土) 午後2時より 午後のおつとめ
11月1日(日) 午前9時30分より 午前のおつとめ
       午後1時30分より まとめのお勤め
★長寿者などを対象に自宅からゴボハンへ、ゴボハンから自宅への送迎サービス(無料)を実施いたします。前もって電話をいただければ係のものが迎えにまいります。
  是非ご利用ください。
※ 例年のごとく一日にオトキを用意しています。しかし、感染症拡散予防のためオトキは持ち帰り用の弁当とし、遠方の方以外はご自宅で召し上がっていただきます。
※ お参りの際にはマスク着用にてお参りください。
お説教は 松井 勇さん(南砺市)です。

御文をいただく 其の五六五帳目第六通⑥

お経様やお念仏は何のためにあるのか
皆さんはお経は何のためにあるかと考えられたことはあるでしょうか。先祖を慰めるため、悪霊と言われるものを退散するため、いろいろあるかもしれませんね。私はそういう力があるのかどうかということはよくわかりません。そんな力がないような気もしもしますし、またないとも断言できません。私は正直なところそういう力があってもなくてもいいと思っています。どんな効果がるのかということの前にお経って何?っていうことをはっきりさせ必要があると思っています。
 お経というのはお釈迦さまが今を生きているものにお説きになられた教えが書かれています。少なくても亡くなった人のためにお経はあるのではないのです。そして今を生きる私たちが聞いていかないといけないものだと私は思っています。ですからお経を読むことによって亡くなった人をどうにかなるという効力があるかないかということは主題ではないのです。私が成仏する(悟りを開く)ために聞いていかないといけないものなのです。
 お念仏も同じです。亡き人を成仏するためのものではなく、私が成仏するために阿弥陀さまがご用意くだされたものが南無阿弥陀仏というお念仏なのです。そのためにお念仏があるのだということを私たちは決して忘れてはいけないことなのでしょう。