ひとりからに寄稿させていただきました。

東本願寺青少幼年センター発行のひとりからという雑誌に法話を書かせてもらいました。
以下の通りです。よろしければお読みください。

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まいごの私

高岡教区 青井和成
 私には小字三年生になる子ともがいます。その子がまだ保胃所に通っている頃夜寝るときによく絵本を観んであげました.古典落語か絵本になったものもお気に入りでしたが、もっともっとお気に入りのものがありました。『あしたから一年生』(東本願寺出版)という絵本です。子どもも好きでしたが、読んでいる私も好きになっていった本でした。その本の中で、お爺ちゃんがお風呂の中で孫のこうすけ君に向かって言った言葉「こどもは、まいごになりながらおおきくなるのさ」が私は非常に印象に歿っています。迷子が大事なのだな、ひとりが大事なのだなって、読んであげながら感じました.
 私も子どものころ迷子になったことがあります。だから迷子になんて好んでなるものではないと思います.また小学生の頃、無視されたことも一時期あったので、ひとりぱっちっていうのもさみしくて大嫌いです。だけど自分が成長していくには、迷子と感じることも、ひとりぽっちと感じることも大切なのだとこの絵本を読む度に教えてもらいました。迷子やひとりぽっちの途中はさみしいですが、それが終わったとき、なんともうれしい気持ちになります.それは初めて一人で買い物に行くことができたときや、一人でパスや電車に乗ることができたときの、なんとも言えない達成感に似ているのかもしれません。
 仏教は、今から2500年ぐらい前にお釈迦さまによってひらかれました.そのお釈迦さまは、払たちが生きている世界は迷いの世界であり、その迷いの世界から離れるために仏になりなさいと教えてくださっています。本来、私たち人間はオギャーと産声をあげて生まれさせてもらったときからいのちをお返しするときまで、ずっと迷いっぱなしであるとお釈迦さまは考えておられまi。しかし、なかなかそのことに気づかずに生きてしまっているのです。
 迷っている子どもを迷子というわけですから、そういうことからすれば自分は迷子だなって感じること、そして迷子の中でひとりぼっちだなって感じることは大事な気づきなのだと言えます.誰かとケンカをしたとき、誰も声をかけてくれなかったとき、それはひとりぽっちだということに気づけただけなのかもしれません。ひとりぽっちと感じたときが、お釈泗さまの教えが本当だとやっと気づけた瞬間なのでしょう.でも、残念なことに友だちと仲直りしたりしてしまうと、このお釈迦さまの教えが大事だということを忘れてしまうのです.子どもだけがそうなのではなく、大人もそうなのです。本当に残念なことです。
 そしてもうひとつ、そういう私たちのために、お訳迦さまは阿弥陀仏という仏さまの存在を教えてくださっています。阿弥陀仏は私たちのために『ナムアミダプツ』という言葉を届けてくださっています.「あなたはひとりぽっちですよ」ということを伝えるために。そして「そういうあなたのことを本当に心配していますよ」ということを知らせるために。私に聞こえてくるナムアミダプツという声はある意味、遊園地やショッピングセンターで聞こえてくる迷子を知らせる案内放送のようなものだと思います.「あなたは今迷子になっていますよ」、「あなたのことを本当に心配している人がいますよ」ということを知らせてくださっているのです。
 さみしいなって感じたとき、ひとりぽっちだなって感じたとき、ナムアミダプツという戸を聞いて自分はひとりでないのだ、自分のことを心配してくださっている存在があるのだということを思い出してください。また、ナムアミダブツの声が聞こえなかったなら、自分でナムアミダプツと言ってその自分の声を聞いてください。少しほっとできるはずです。少し歩み出せるはずです。
 ナムアミダプツ、ナムアミダプツ、 ナムアミダブツ

思いをかなえてくれる神仏 こそ…

私たち日本に住むイメージから言うと、神仏というのは、

願いを叶えてくれる存在、
願いを叶えてくれるから礼拝の対象となることが多い。
それはそうなんだけど、
ほんとうに今を生きる私たちにとって必要な存在なのだろうか。
私たちにとって大事な存在なんだろうか。
ふとおもったことは
神仏が自分の願いばかり聞いてくれると、私たちはどうなっていくだろうか。
そう考えると、
自分勝手な人間になっていくのではないだろうか。
人間の思いを中得てくれる神仏は自己中の人間を生産していく。
そうなんではないでしょうか。
それでいいんでしょうか。
今私たちに必要なゾンザイハ、自己中心的には生きていってはいけない、
自分勝手な生き方をしてはいけないというはたらきなのではないだろうか。
「自分の思いは叶わぬもの」
「和(やわらか)」をみだしているのはおまえなのではないか
そういうことを言い当ててくれるはたらきこそ、今を生きる私たちは大切にしていかなければいけないのではないかと思うんです。
神仏に願を掛けてはならないなんて言うことは思わないけど、
そういうことを願うことはとういう事なのかなんて考えることが自分たちには大切だと思う。
そして、人生思い通りには行かないもの」と言うことを尊くも言い当てていただける存在、頷かせてくだされるはたらきとして、神仏に礼拝していくことが大切だと思う。
そういう存在こそ、我等が本尊、阿弥陀仏なのだろうと思う。
私が必要としている佛と、
私が必要にしなければならない佛がいる、

【紹介】ラジオ法話

砺波地方のコミュニティーFMでラジオ法話という番組が放送されています。これは私が所属する大谷派の砺波地方の僧侶が語っています。

コミュニティーFMなので視聴できる地域は本当に限られていますが、
しかし、このFM局のHPにて聞くことができるらしいです。
私の家からもどんなにアンテナをのばしてもこのFM局は聞くことは無理です。
バックナンバーまではそろっていないのが残念ですけど、その時の一人のお方のお話に逢うことができます。
よろしければ聞いてみてください。
ちなみに私は来年の五月頃に話す予定になっているみたいです。多分?

ラジオ法話

『ラジオ法話・私にとって念仏とは』

Hana

井波別院瑞泉寺・城端別院善徳寺・高岡教区第1組・第2組・第3組・第4組の僧侶の皆さんが命の尊厳を訴え、心悩める方々に問いかけようというもの。 送時間 毎週月曜日18時40分~ 火曜日6時15分~ 水曜日14時~ 金曜日6時15分~

FMとなみhttp://www.fmtonami.jp/

ケータイ用アドレス

僧侶というアイデンティティーからの解放

いろんな人のブログを読んだり、いろんな人の話を思い出したり、そして親鸞聖人の祥月命日を迎え、色々考えています。

っていうか、今日、黒部の方までごまんさんのお話しに行かなければいけないので話すことを考えているのですが…
親鸞さんは(官度)僧としてのアイデンティティーが流罪まであったんでないかななんて思ったんです。
法難によって僧籍を剥奪され、そして僧侶から解放の道を歩んでいったのかな、なんて何となく思っているんです。
宗祖は九歳の時に出家得度されたと言われています。
これに意義と称える知人がいて私は同調しています。
いくら慈円がいたからと言って九歳で毒度できるわけがないって思うのです。
そして、また比叡山に入寺してもすぐ得度するとは限らないのではと思うのです。大きなお寺には小坊主さんみたい人がいたと思うのです。アニメ一休さんのように、その人たちはお寺に入っていわゆる修行のようなことをしているけど、ホントに毒度できているのかと言えば、違うと思います。私の記憶が正しければ当寺官度僧として認めてもらうには、興福寺や、延暦寺の許可が要る、また官度僧と言うことは国家公務員なわけだから、そうたやすく小さい未成年の子どもが毒度できるとは限らない、得度はしてないけど、出家したという人も沢山いたのでは、そういう感じが宗祖九歳の時であったのではないかと思うのです。
それはともかく、とにかく訳あって宗祖は比叡山で出家したわけです。底での歩みは、帰る場もない宗祖としては僧侶として生きていくしなかったのでは、そこで僧侶として一生懸命生きていこうという志強き人だったのでは。
僧侶としての生き方、
僧侶としてあるべき姿、
そういうものをすごく追いかけられていた方だったんではないかと、
私は想像するのです。
多分成人して官度僧となった宗祖は、いわゆる立派な僧侶として生きていこうと一生懸命歩まれていたのではなかったのでしょうか。
そういうところで「大乗」と言うことが課題になったのでは。
ということで十九歳の時、
和国の教主なる聖徳太子のお墓にこもられ、「日域は大乗相応の地」という夢告を受けられたのではないのでしょうか。
大乗の僧侶として立派になろうという歩みの中で色んな課題が、悩みが湧いてこられた。
そして、志と我が身の現実のギャップを感じて行かれた、と思うのです。
そしてまた末法の世を悲しまれた。
その中で末法のための教えとしての念仏に気づかれていかれ、
29歳の時、十九歳の時汝が命根十余歳なるべしとお告げを頂いた命根尽きる歳に今一度聖徳太子ゆかりの地、六角堂に参籠され、念仏を選び取って行かれたような気がするのです。
まだまだ官度僧としての自負心、誇りのようなものを抱え込んでおられたのではないでしょうか。また、三十三歳の時、寿像を書き写すことと、選択集を書き写すことを許された宗祖は、ある意味言葉は悪いですが、有頂天だったのではないでしょうか。
これこそ末法の僧侶の歩むべきまことの路として浄土往生の道を歩んで行かれたことなのではないでしょうか。
片州に末法を生きる僧侶として順風満帆の歩みをされているとき、
法難に出会われ、流罪に処せられたともいえないでしょうか。
悔しくて悔しくて仕方の解雇とだったでしょう。流罪にあったこと、そして僧籍を取り上げられたこと。
だからこそ、
同じ念仏を称える僧侶である曇鸞が、梁の天子に菩薩と礼拝され、神鸞と呼ばれていた、ことと自分を比べられていたことでしょう。最初のウチは。何でオレは、ッて。
だけど、流罪の地で田舎の人々と出会うことによって、
僧籍を持つ持たないと言うことにこだわることのばからしさに気づいて行かれたことなのではないでしょうか。
僧侶として立派に生きていく歩みの中で、他を悪と見たり、害としてきた自分に気づいて行かれたのかも知れないと思うのです。
僧侶としてのしがらみから解放の道を歩んで行かれた。
僧侶として念仏を頂いてくのではなく、1人の人間として念仏と向き合っていく歩みに変化されて行かれたのではないでしょうか。それが流罪以後の宗祖の歩みではと思うのです。私は。
こんなような州ぞぞうを画いて今はいます。
結局まとまらない文章に、そして質の悪いフィクション作品みたいになってしまいましたけど、ちょっと、思っていることを文字に書き留めてみました。
これをもうちょっと整理していかなければいけないのかな。
まだまだひとりごとの域を全然超えてない文章でした。

同朋唱和は宗風の回復運動

標題のことを最近思ってたんです
同朋唱和は同朋会運動の新たな運動ではなく、以前当然のように行われていたものを回復を目的とするものではないだろうか、なんて思うんです。
そもそも同朋会運動もお講組織の回復運動だと考える私です。
でも最近持論に疑問をもつんです
元来正信偈の草四句目下の勤行を当たり前にしている私たちですが、本来お朝事は草四句目下ではなく、舌々二淘、本山でも別院でも、末寺でもそうだった。
この早いお勤めを昔の人は出来たんだろうか。
この理解しにくいお勤めを門信徒の方々は当たり前に出来たのだろうか。
また月参りというのが昔からあったことなのだろうか。
そんなことを思うと疑問を持つ
そしてそして、お内仏を持つお宅は今のようにたくさんあったのだろうか。
土地を持っている農家や、商売をしている家は持てただろうけど、

歴史をしっかり調べてみないと判らないな
自分の持っている常識の中だけでいろいろ想像しても限界があると思う。

芽生えはじめる

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ニンジン

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水菜

この間種を蒔いた種ニンジンと水菜芽を出しています。
この二つはいつも蒔いて結構早く芽を出してくれますし、育てるの簡単です。
ニンジンと同じ日に種を蒔いたほうれん草はまだ芽を出していません。
ポットに種を蒔いたオクラトウモロコシ枝豆は当然まだまだ芽を出す気配がありません。
いうまでもなく一昨日蒔いた青梗菜はまだまだです。大根もそうです。

浄土の顕彰

顕彰とは個人の功績や善行を讃えるということであろう。
私たち念仏者の顕彰とは還相の菩薩として顕彰するということになる。
還相の菩薩とは私を浄土に導いてくださった菩薩様ということ。
故人を浄土に導いてくださったお方として讃えるということは
私たちの概念としてのほめたたえるということとはちょっと違うのではないだろうか。
私が浄土に生まれることとして大切なことは「世を厭う」ということであろう。
浄土を願う心のもとを私に植え付けてくださった方が還相の菩薩様なのだろう。
「愚者になりて往生す」という法然上人のお言葉をたよりにするなら、
愚者の自覚をくださる方が還相の菩薩となろう。
我が身は罪悪深重煩悩熾盛
火宅無常の世界はよろづのこと、みなもっと、そらごと、たはごと、まことあることなき世
を私たちに示してくださっているのです。
そういうことを指し示してくださったお方として讃えていくことが浄土の、浄土真宗の顕彰、浄土真宗のちぃちょうということなのではないでしょうか。
人間の愚かさを身をもって示していただく方としてほめたたえていくことも浄土の顕彰となることでしょう。
立派な人として讃えていくというよりは
尊いことを教えてくださったお方と讃えていくことなのでしょう。

そういうことを昨日東本願寺の全戦没者追弔法要に参加していただき思わせていただいた次第です。

「門徒」という言葉

浄土真宗の檀家を門徒と一般的に言うわけです。
檀は檀那を指す言葉で施しをする一という意味で、極端に簡単に言ってしまえばパトロンって言うことだろう。
檀家ではなく浄土真宗では門徒と行ってきたわけだ。
家から徒と変化していることは現代の視点から見ると家から個人という感じですごいことなのだろう。
でもこの言葉私は気になるのだ。
ある意味もっと大事にしたいのだ。
すごく引っかかるのは、
○○寺門徒っていう言い方に疑問を私は感じる。
自分も、どこどこの門徒さんといってしまっているのだけど、やっぱ気になる。
門徒という詞書きになるのではなく、門徒という言葉の前にある言葉が気になる、といった方が正確なのかも知れない。
私は門徒の前にくる言葉は、浄土と真宗、という言葉しか前に来るべきではないと思うのだ。
本願寺でもおかしいと思う。
門徒は所有物ではない、
僧侶も門徒だ。

もんと 【門徒】

同じ宗派に帰依して宗教生活を送る人。本来は、同一の系譜に連なる僧侶を指したが、浄土真宗において在家の信者の意に用いられたため、中世後期以降、もっぱら真宗信者一般に対する呼称となった。
Excite

辞書 エキサイト

とある。もともと僧侶を指した言葉だったそうな。門徒も檀家も関係ないって言うところからこういうようになったのかも知れない。
それなのに。
現実、「門徒」と僧侶を区別している。
深い深い溝を作ってる。
檀家を門徒といっても何ら現実変わらない関係。

だから自分は檀家って言う言い方をわざわざすることもある。

浄土真宗で檀家のことを門徒というんだって言うことで終わるのではなく、何故そういう言い方になったのかなんていうことを大事にしていかないといけないんだろうな。
変化していかないと、ちかづいていかないと
門徒って言う言葉に失礼だ。なんて私は思う。

すすめる心

昨晩ある組の同朋の会があってお話ししてきたせいか、また眠れず今ここに座っています。
その会である方から質問、
さわりを外にあると感じている人に対してあまりにも素っ気ないのではないか、だから他の宗教にいくのでは、そういうことがお寺と「門徒」の溝としてあるのでは、なんて言うことを後から考えればされていた質問を受けた。
そのときはそういうふうになかなか聞くことが出来ず、的外れな答えを今思えばしていた。ちょと反省。
霊を怖がる人々に対して、災い、祟りを現実に怖がっている人に対して私は今まで簡単に否定しすぎというよりは、簡単に聞き流していたのかな。そう思う。
見下していたのかも知れない、そういう人たちを。
せめて念仏を、南無阿弥陀仏を称えることはすすめることが出来たのでは、と遠い昔を後悔する。

民衆仏教としての真宗と言うことが、私の上に欠如しているようです。

私たちはたまたま専修念仏の教えに出遇い源に歩んでいる。
自分が外にさわりを探していた頃のことを忘れてしまっている。今も自分自身がさわりだと思ってなんか生きてはないのに。
何故か自分は信を獲たエライ人で信を獲てない迷っている人に対して見下してものを考えている。
そういう自分に今出会わせてもらった。同朋の会での質問を今やっと思い出し
自分は何を聞いてきたんだろう。

自分の抱え込んだ真宗を自分の言うことが判ってもらえる人にだけ判るように語っていたのかな。今まで。
あらゆる人々に南無阿弥陀仏と念仏を称えてもらうことも私の大事な仕事です。
また、あらゆる人々に念仏を称えてもらいたいと強く願わない、勧めることを全くしていない自分の信ていうものは何者なのか!
落ち込む私です。
一昨日階段から滑り落ち、昨日法事をすっぽかして落ち込んでしまっている私、そん中、また落ち込んでいるフリをしています。
今思っていることを来月の同朋の会で、めっちゃ整理をして今一度話しをしてみたい。

供養ということを考えさせられる

泡瀬埋め立てによって失われるいのちを弔う

(浦島悦子2009/01/28JanJanニュース)
1月15日から開始された国(沖縄総合事務局)による泡瀬干潟の埋め立てによって失われるすべてのいのちを弔いたいと、浄土真宗沖縄東本願寺の僧侶らが呼びかけた供養式が25日、沖縄市泡瀬の海岸から延びる埋め立て工事用の仮設橋梁入口で執り行われた。
(中略)
焼香台を設置したあと、十数人の参列者の前で3人の僧侶による読経が行われ、次のような誓いの言葉が読み上げられた。

 「……願わくは、仏陀が教える『私たちはこれ以上貪る必要がなく、足りていることを知れ』といういのちの教えに耳を傾け、いまを生きる者として、何を願っているのかをあらためて問い、この果てしない欲求を追い求める生活の中で、真実の生き方を回復したいものです。
 今、このときに当たり、失われていくいのちを供養し、私たち人間が生き物たちから願われていることに耳を傾け、すべての生き物を救いたいという阿弥陀仏の本願をよりどころとして、その深い願いに生きることを誓います」(後略)

はじめ多分大谷派の僧侶であろう人たちが頑張っているな、と思いこの記事を読んでいった。
沖縄には大谷派の寺院は1ヶ寺しかなかった記憶がある、だからどういう方がやっているのかよくわからないが、親鸞さんの教えが明らかになるかも知れない大切な儀式だと思った。
でも、供養式と題され、また表白であろう文章に供養という言葉が使ってあり、ちょっとドキッとしたが…
こういう供養ならありかななんていう気もした、私は。
私自身供養という言葉をあえてあまり使わなかったり、真宗としても伝統的には肯定的にしてきてない。「私に供養が出来るのか」という問いが私にはこの問題を考えるときに問題となる。不回向、他力回向ということを思ってしまうからだ。
私たちにはヤッパリ供養したいという気持ちがどこかしらある。教義からしておかしなことかも知れないけど、抜けきらないというか、供養したくなる。
良く考えれば、私は供養という言葉を弔うという言葉に代えて使っていたような気がする。
供養と弔うことが違うことなのか、同義なのかということはよく調べていないこと、言葉狩りを恐れて弔うという言葉に代えて私は使っていたような気がする。

衣食を供給し養っていくことが供養ということの始まりだったと思う。どこかのリーフレットに

供養は、仏さまの大いなる世界を私がいただいたことの表現です。

供養とは、「仏法僧の三宝」として現されている真実の世界に対してなされるものです。本当に尊敬されるべき世界、本当に大切にされるべき世界を見いだすこ
とです。それは自分を中心にして生きているものが、自他平等のいのちを現す仏さまの世界に、われもひとも共に生きることのできる世界を見いだすことです。
その感動が供養の形をとるのです。

という言葉があったことを思い出す。
「我も人も共に生きることの出来る世界を見出すこと」を願うとき、失われていくいのちが目の当たりに明らかになったとき供養したい!とまた願うのではないだろうか。
それが供養ということでないかと思ったのです、私は。
自分の身を守る道具としてでない、供養という思いが私のなかで湧いてくることも有り得ると思いました。
この記事を読み、
供養ということを完全に否定するのではなく、
追善という供養は自我の何者でもないことだけど、
追弔という供養は大事にしていかないとと思った訳なのです。
先のリーフレットをよく嫁化くようということは完全否定されていない。
自分が真宗の教えをどこまでも善悪の問題で聞いていたのかな、そんなことも明らかにしてもろた。

このこともう少し考えていこ!

結論のないというか、とりとめのない記事になってしまいました。
以下のようなWEB署名を見つけました。