2016報恩講を勤めさせていただきました

報恩講を務めさせていただきました。今年はたくさんのお方にお参りくださいました。
また今年8月に得度した住職の四男坊も初めて衣をつけて王温厚にお参りしました。残念ながら同じ時に得度した長男坊は学校の休めない事業がありお参りできませんでした。

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報恩講に向けてお磨きしていただきました

報恩講に向けて東老田尼講の皆様によって仏具のお磨きをいただきました。すすぎ用に水をお湯にしてはといろいろ助言をいただきながら笑い語彙の響きながらお磨きをしていただきました。きれいになり、ぴかぴっかです。
終わった後もお茶を飲みながらまたゆっくりいろんなことを話ししておられました。

写真はお磨きされる前の仏具

今年も井波別院の巡回法座をお受けいたしました

二月二十一日井波別院法宝物巡回法座の宿をお受けしました。

案内を配ったのが遅かったと言うこともあり、そして本当に当日いい天気で明日は雨の予報と言うことになってたからか、お参りいただいた方は少なかったです。と言うか、私の義理が通じないというか、こっちが切りをいただいていて返し切れていないと言うことの表れなのでしょう。少し反省をしています。調べてみると昨年も地域の親睦旅行とかなさりお参りが少なかったようです。

お話しくださったのは昨年に引き続き藤井乗さんでした。

お内仏があるじと成るような生活をしようと言うことを冗談を交えながらお話しくださいました。

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HONKOHAN勤まりました。

本年も何とか、報恩講をお迎えすることができました。

報恩講前にいつも以上に予定を入れてしまい、なかなかお迎えの準備ができず、自分自身井腹が立ったりしてたんですが、
たぶんことなく終了させていただきました。
報恩講を勤め終わらせていただくと言うことは、始まりなのでしょう。昔の方はアッカリしたらあかん我やぞって言っておられましたから。一年のスタートの行事がホンコサマ、ホンコハンなのでしょう。
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生まれた意義と生きる喜びを見つけよう

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先日月18日常入寺にて井波別院法宝物巡回法座がありました。
住職の不手際で多くの人に案内できないままの開催でしたが、いつもお寺に来てくださっている方のご尽力によってまぁまぁ参加者でした。
お寺にお参りに一人でも多くお参りに来てくださる,そのことが本当に大事なことでお寺の大切な使命だと思わせていただいたわけです。
今大谷派高岡教区内にある二つの別院が同時に御修復事業に取りかかっています。そのことについての説明会が22日ありました。両別院とも御修復のための懇志金が思うように集まってこない。特に井波別院はもっと深刻で教区内寺院住職の方々にもご協力を御願いします。ということだった。
最初の計画では別院の御修復奉賛会が主体となって集めると言うことでしたが、思うように入ってない。巡回法座が壊滅的状況の中では頼るべきところがない。ということのようです。非常に人事のようなのですが。
説明を受けて思ったことは、別院って何なんだろうって言うことでした。
そのことが自分の中ではっきりしていないからなかなか懇志を集めるという動きが自分の中で始まらないのでは。
今まで別院の存在意義があったから別院が存続してきていた、それなら今は。
井波別院の正常化っていう言葉がありまして、この説明会の中でも井波別院は正常化したとありました。大谷派に帰属しただけで本当に正常化なのか。本当は今までもこれからもまだまだ正常化に向けた歩みをしなければいけないのでは、なかったのでは。と思ったわけです。
北斗の拳というアニメで主人公が「オマエはすでにしんでいる」という台詞がおきまりのようによく言われていたのですが、
まさにそのことが別院に向かっていわれていたような思いになりました。
別院はすでにしんでいる、だからそこに誰も投資はしないんだって。
やっぱり御懇志を頂くためには、
生まれた意義と生きる喜びをみつけよう
という宗祖親鸞聖人700回忌の時の教団テーマではないですが、
別院が維持されてきた意義、それをしっかり見つけていかないとならない。これからも存続していくことの大切さを実感していかないと堂喪ならないと。
お育ていただいたという思い、これからお育ていただくところ、そういう所として正常化していかないと別院の維持は大変だと思いました。
御崇教対して親鸞聖人の教えを伝えるこういうことをしていくんだという決意、出来なくても決意をあきらかにしていくことが私は御修復には、別院の護持には本当に必要だと思たわけです。
能く能く考えればこれは別院のことだけではなく、私が所属しているお寺も、そして住職としての私にも問われていることなのでしょう。
オマエはすでにしんでいる、
この言葉に生きている証しとして反応していくこと、そのことが何よりも大切だと思わせていただいたわけです。

この状態が仏法興隆の大事な縁としていかないとな、
本当にしんでしまいます。

教団、別院、末寺の生まれた意義と生きている喜びを感じていかなくては!
本当に、
これから大変なことに、もうすでにかもしれないけどなっていくことでしょう。

行ってきました 国立ハンセン病療養所栗生楽泉園

9月12~13日に群馬県草津にある国立ハンセン病療養所栗生楽泉園に行ってきました。
長野から白根山を通って、草津まで行きました。白根山を通る国道は日本一高いところを通る国道だそうです。iPhoneで見てみると1500はとうに超えてました。
午前九時過ぎにと山を出たのですけど一時過ぎには楽泉園にたどり着けました。ご飯もゆっくり食べれました。
初日はここの自治会長(もしかしたら元自治会長参加も)さんのお宅へお邪魔してお話を聞きました。園の歴史、三四郎さんの歴史を聞かせていただきました。
三四郎さんはここへ連れてこられる時は所謂お召し列車にのって近くまで来たそうです。郵便車両に乗って。郵便車領の半分は客車になっていたそうで、そこにはハンセン病患者護送中と張り紙がしてあったそうです。三四郎さんは宇都宮の駅から乗せられたそうですけど、宇都宮の駅では白い服を着た人が待っていて、自分の歩く跡を消毒をしながらあとをついてきたそうです。組の様子を見てスゴい病気になったんだと思わされたそうです。宇都宮の病院では病名を告げられず、あそこに行けというようなことを言われ他だけだったそうです、病名については何も言われなかったそうです。
蜂蜜と試をと水で混ぜたものをハダニ塗っておられるということはお話しなさっておられました。そう言われるだけあって、肌すべすべでした。
次の日は、県出身の方にお会いしてお話を聞いたり、園を紹介してもらいました。
この方は無ライ県運動が盛んになる前に発病されたからなのか、病院でハンセン病と診断されたけど、すぐに強制隔離というわけではなかったそうです。そこにある療養所のパンフレット見て速くなおしたい一心で療養所に行くことを自ら決めて警察に申し込んだそうです。選挙も通名というか園名で投票できたそうです。また園に入った時も園名を名告るようなあり方もあるよと優しく助言してもらい、自分はそれに頷きそうしたのだ。と言うことを仰っておられました。どちらにしても家族親類には迷惑をかけたくないということがあったのだろうし、そういうことも説明として優しくは仰っておられたのかもしれないけど、脅しといえば脅しだったのかとも、私は思いました。
その後園の方も一緒に歩いて説明してくださいました。
そう、
園に住んでおられる三分の一は病棟、また三分の一は不自由者棟、残りの三分の一が一般棟だって仰っておられました。
また、一般棟のながやには地名矢山の名前がつけられていたのですけど、不自由者棟は味気のない、A-1というような義号で書かれててました。

  

今年もお寺の掲示板に掲載しました

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ここ毎年のようにお寺の掲示板に掲載しています、広島市平和記念式典で発表される『平和への誓い』を本年も掲載しました。
月初め本山に行っていたこともあり、掲載が遅れましたが、敗戦記念日である今日ようやく掲載させてもらいました。
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67年前、一発の原子爆弾によって、広島の街は、爆風がかけめぐり、火の海となりました。
たくさんの人の尊い命が、一瞬のうちに奪われました。
建物の下敷きになった人、大やけどを負った人、家族を探し叫び続けた人。
身も心も深く傷つけられ、今もその被害に苦しむ人がたくさんいます。
 
あの日のことを、何十年もの間、誰にも、家族にも話さなかった祖父。
ずっとずっと苦しんでいた。
でも、一生懸命話してくれた。
戦争によって奪われた一つ一つの命の重み。
残された人たちの生きようとする強い気持ち。
伝えておきたいという思いが、心に強く響きました。
 
故郷を離れ、広島の小学校に通うことになったわたしたちの仲間。
はじめは、震災のことや福島から来たことを話せなかった。
家族が一緒に生活できないこと、突然、友だちと離ればなれになり、今も会えないこと。
でも、勇気を出して話してくれました。
「わかってくれて、ありがとう。広島に来てよかった。」
その言葉がうれしかった。
 
つらい出来事を、同じように体験することはできないけれど、
わたしたちは、想像することによって、共感することができます。
悲しい過去を変えることはできないけれど、
わたしたちは、未来をつくるための夢と希望をもつことができます。
 
平和はわたしたちでつくるものです。
身近なところに、できることがあります。
違いを認め合い、相手の立場になって考えることも平和です。
思いを伝え合い、力を合わせ支え合うことも平和です。
わたしたちは、平和をつくり続けます。
仲間とともに、行動していくことを誓います。
 
平成24年(2012年)8月6日
         こども代表 広島市立比治山小学校 6年 三保 竜己
               広島市立安北小学校  6年 遠藤 真優

平成24年度「平和への誓い」