諸行無常の響きあり

先輩から教えてもらったことなのですが、お寺の鐘はゴ〜ンってなるのではないそうです。ごお〜ん、ごお〜んとなっているそうです。一度しっかり聞いてみないといけないと思ってるのですがまだ私は確かめてないです。

 どうも仏様の御恩を私達に知らしめんがためにそう鳴っておられるそうです。こんな話を聞いたら今度からそういうふうに鐘がなってるように聞こえるかもしれませんね。

ところで、仏様から私達にくださった御恩ってどんなことなんでしょうね、そのことはしっかり尋ねないといけないと私は思ってます。

違うことが御恩と思ってて恩返しをしたら、実は恩返しになってなかったということもありうることですからね。中身を確かめないといけませんね。

稲穂

秋ですね、虫たちも賑やかにいつの間に名泣いてますし、そして稲もいつの間にか緑色から黄色に変わってきています。稲穂も頭を垂れています。

もしかすると稲穂が頭を垂れているのは阿弥陀さんに頭を下げなさい、心よりうやまうことの大切さを自分の姿をとして私たちに指し示してくださっているのかもしれませんね。

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コロナ渦

誰が言い出した言葉か知らないが
コロナ渦
とはよく言ったもんだ。
今はCOVID-19そのものがもたらす災いというより、
コロナ騒動の渦の中で私達が惑わされ続けているのが今なのではないだろうか。
コロナ禍というよりはコロナ渦といった表現のほうがあってあるような気がする

2016報恩講を勤めさせていただきました

報恩講を務めさせていただきました。今年はたくさんのお方にお参りくださいました。
また今年8月に得度した住職の四男坊も初めて衣をつけて王温厚にお参りしました。残念ながら同じ時に得度した長男坊は学校の休めない事業がありお参りできませんでした。

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報恩講に向けてお磨きしていただきました

報恩講に向けて東老田尼講の皆様によって仏具のお磨きをいただきました。すすぎ用に水をお湯にしてはといろいろ助言をいただきながら笑い語彙の響きながらお磨きをしていただきました。きれいになり、ぴかぴっかです。
終わった後もお茶を飲みながらまたゆっくりいろんなことを話ししておられました。

写真はお磨きされる前の仏具

ひとりからに寄稿させていただきました。

東本願寺青少幼年センター発行のひとりからという雑誌に法話を書かせてもらいました。
以下の通りです。よろしければお読みください。

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まいごの私

高岡教区 青井和成
 私には小字三年生になる子ともがいます。その子がまだ保胃所に通っている頃夜寝るときによく絵本を観んであげました.古典落語か絵本になったものもお気に入りでしたが、もっともっとお気に入りのものがありました。『あしたから一年生』(東本願寺出版)という絵本です。子どもも好きでしたが、読んでいる私も好きになっていった本でした。その本の中で、お爺ちゃんがお風呂の中で孫のこうすけ君に向かって言った言葉「こどもは、まいごになりながらおおきくなるのさ」が私は非常に印象に歿っています。迷子が大事なのだな、ひとりが大事なのだなって、読んであげながら感じました.
 私も子どものころ迷子になったことがあります。だから迷子になんて好んでなるものではないと思います.また小学生の頃、無視されたことも一時期あったので、ひとりぱっちっていうのもさみしくて大嫌いです。だけど自分が成長していくには、迷子と感じることも、ひとりぽっちと感じることも大切なのだとこの絵本を読む度に教えてもらいました。迷子やひとりぽっちの途中はさみしいですが、それが終わったとき、なんともうれしい気持ちになります.それは初めて一人で買い物に行くことができたときや、一人でパスや電車に乗ることができたときの、なんとも言えない達成感に似ているのかもしれません。
 仏教は、今から2500年ぐらい前にお釈迦さまによってひらかれました.そのお釈迦さまは、払たちが生きている世界は迷いの世界であり、その迷いの世界から離れるために仏になりなさいと教えてくださっています。本来、私たち人間はオギャーと産声をあげて生まれさせてもらったときからいのちをお返しするときまで、ずっと迷いっぱなしであるとお釈迦さまは考えておられまi。しかし、なかなかそのことに気づかずに生きてしまっているのです。
 迷っている子どもを迷子というわけですから、そういうことからすれば自分は迷子だなって感じること、そして迷子の中でひとりぼっちだなって感じることは大事な気づきなのだと言えます.誰かとケンカをしたとき、誰も声をかけてくれなかったとき、それはひとりぽっちだということに気づけただけなのかもしれません。ひとりぽっちと感じたときが、お釈泗さまの教えが本当だとやっと気づけた瞬間なのでしょう.でも、残念なことに友だちと仲直りしたりしてしまうと、このお釈迦さまの教えが大事だということを忘れてしまうのです.子どもだけがそうなのではなく、大人もそうなのです。本当に残念なことです。
 そしてもうひとつ、そういう私たちのために、お訳迦さまは阿弥陀仏という仏さまの存在を教えてくださっています。阿弥陀仏は私たちのために『ナムアミダプツ』という言葉を届けてくださっています.「あなたはひとりぽっちですよ」ということを伝えるために。そして「そういうあなたのことを本当に心配していますよ」ということを知らせるために。私に聞こえてくるナムアミダプツという声はある意味、遊園地やショッピングセンターで聞こえてくる迷子を知らせる案内放送のようなものだと思います.「あなたは今迷子になっていますよ」、「あなたのことを本当に心配している人がいますよ」ということを知らせてくださっているのです。
 さみしいなって感じたとき、ひとりぽっちだなって感じたとき、ナムアミダプツという戸を聞いて自分はひとりでないのだ、自分のことを心配してくださっている存在があるのだということを思い出してください。また、ナムアミダブツの声が聞こえなかったなら、自分でナムアミダプツと言ってその自分の声を聞いてください。少しほっとできるはずです。少し歩み出せるはずです。
 ナムアミダプツ、ナムアミダプツ、 ナムアミダブツ

今年も井波別院の巡回法座をお受けいたしました

二月二十一日井波別院法宝物巡回法座の宿をお受けしました。

案内を配ったのが遅かったと言うこともあり、そして本当に当日いい天気で明日は雨の予報と言うことになってたからか、お参りいただいた方は少なかったです。と言うか、私の義理が通じないというか、こっちが切りをいただいていて返し切れていないと言うことの表れなのでしょう。少し反省をしています。調べてみると昨年も地域の親睦旅行とかなさりお参りが少なかったようです。

お話しくださったのは昨年に引き続き藤井乗さんでした。

お内仏があるじと成るような生活をしようと言うことを冗談を交えながらお話しくださいました。

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いわき市に行ってきた

護法湖如くてなかったかも知れませんが、昨年11月より民生委員を請けさせてもらってます。今一つ何していいののかわからない状態で今日までやってきてます。今月初め民生委員の研修で会津若松市,いわき市などに行ってきました。

その中で美空ひばりの歌碑があるので有名な塩屋崎にうかがって震災の時の状況を土産店の店主さんからお話しを頂きました。
”原発事故さえ中ったらもう少し多くの人が助かったのに”
というようなことはをいわれていました。凄く印象に残ってます。
原発の爆破時事湖の関係で自衛隊のきゅうえんはなかなか始まらなかったそうです。
悲しいことです。その他福島県周辺の海岸部では似たようなことが怒っていたことでしょう。
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