秋の彼岸会を勤めます

9月22日午後2時~4時くらいまで
会場  常入寺本堂
講師  崖超(きしはるか)師 輪島市浄明寺

参加費 無料 (途中お賽銭を集めさせていただきます ご協力ください)

今月のことば_2024年09月

平和への誓い
目を閉じて想像してください。
緑豊かで美しいまち。人でにぎわう商店街。まちにあふれるたくさんの笑顔。
79年前の広島には、今と変わらない色鮮やかな日常がありました。
昭和20年(1945年) 8 月 6 日 午前 8 時15分。
「ドーン!」という鼓膜が破れるほどの大きな音。
立ち昇る黒味がかった朱色の雲。
人も草木も焼かれ、助けを求める声と絶望の涙で、まちは埋め尽くされました。
ある被爆者は言います。あの時の広島は「地獄」だったと。
原子爆弾は、色鮮やかな日常を奪い、広島を灰色の世界へと変えてしまったのです。
被爆者である私の曾祖母は、当時の様子を語ろうとはしませんでした。
言葉にすることさえつらく悲しい記憶は、79年経った今でも多くの被爆者を苦しめ続けています。
今もなお、世界では戦争が続いています。
79年前と同じように、生きたくても生きることができなかった人たち、
明日を共に過ごすはずだった人を失った人たちが、この世界のどこかにいるのです。
本当にこのままでよいのでしょうか。
願うだけでは、平和はおとずれません。
色鮮やかな日常を守り、平和をつくっていくのは私たちです。
一人一人が相手の話をよく聞くこと。
「違い」を「良さ」と捉え、自分の考えを見直すこと。
仲間と協力し、一つのことを成し遂げること。
私たちにもできる平和への一歩です。
さあ、ヒロシマを共に学び、感じましょう。
平和記念資料館を見学し、被爆者の言葉に触れてください。
そして、家族や友達と平和の尊さや命の重みについて語り合いましょう。
世界を変える平和への一歩を今、踏み出します。
令和 6 年(2024年) 8 月 6 日
こども代表
広島市立園小学校 6 年  加藤 晶
広島市立八幡東小学校 6 年 石丸 優斗

380 御文をいただく 其の六十八五帳目第九通④

御文をいただく 其の六十八五帳目第九通④_たすけましますという事が本当にわからない

 浄土真宗の教えとは阿弥陀如来様のお救いを信じ南無阿弥陀仏と念仏申す生活をする教えですが、だけど、この私を阿弥陀如来様がたすけてくださいますよといわれてもなかなかピンとことないのも本当のところなのではないでしょうか。そう感じているのは私一人だけなのでしょうか。はてさて…
 阿弥陀如来様の救いがピンとこないということは自分が阿弥陀如来様に救ってもらわなくてはならない身であるという事に頷けていないからなのでしょうね。 
 仏様の救い以前に誰かのお世話になるという事があまり好きでないし、自分ひとりでなんとかやっていけると思ってしまっている自分がいるからなのでしょうね。お金さえあれば何でも買えますし、何でも済んでしまうのがこの世の中ですもんね。誰かに助けてもらわないとやっていけないなんてあんまり感じられないかもしれません。
 念仏を大切にされてきた先輩方は「おかげさま」と思いながら生活をしてそしてそのなかでお念仏を称えてこられたように思います。また、自分を信じて、自分の価値観だけを信じて生きていっても本当に幸せになれるんでしょうか。私はなんとなくですが、そうではないような気がしています。何か大きな誤解をして生活をしているのが私たちなのかも知れません。
 阿弥陀如来様が私を救ってくださるのだと狂信的に信じていく前に阿弥陀如来様の救いがなぜ今まで残ってきたのかという事を私ごととして、私を見つめ直す事をとおして訪ねていく事も大切なのではないでしょうか。

仏教はわかる教えではありませんなるほどその通りとうなづく教えです

 親鸞聖人は主著である顕真実教行証文類の中で善導大師のお言葉を引用されて仏教の学び方についてお示しくださっています。一つには「解学」これはわかるようになることを目的とした学び方です。経典などを読んだり理解する学びであります。いわば私たちが思う勉強です。そしてもう一つ、仏教の学びとして「行学」というあり方です。日々の生活の中で仏教を確かめ自分の生きる道をあきらかにしていく学びのことです。この二つの学びはこれがよくてこれはだめだというのでは決してありません。知識を身につける学び解学も大切です。ただこの学びで終わってしまうことがもったいないことなのです。次のステップがあるというか、解学と共に行学をしていくことが大事なのです。解学で終わらせてしまうことがもったいないことなのです。
 そもそも仏教というのはお釈迦様が私たちにされたお説教が基です。その教えに生きていくことが仏教です。他人ごととしてこんな生き方があるんだと聞いていくのではなく、私ごととして自分の生き方として学んでいくことが肝要なことでしょう。言い換えればお釈迦様は何でこんなことをおっしゃっておられたんだろうかということを私の人生を振り返りながら確かめて行く事が大事な仏教の学びなのでしょう。

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4月8日はお釈迦さまのお生まれにならられた日「花祭り」を催しお祝いする日です

 4月8日は、お釈迦さまのお誕生をお祝いする「花まつり」の日です。花まつりは、仏教寺院だけでなく、多くの仏教系の幼稚園や保育園、学校などで広く行われています。皆様方も各家庭でお祝いのケーキなどを食べてお祝いしませんか。
 お釈迦さまは、今からおよそ2500年前、現在のインド国境に近いネパールの地、ルンビニーの花園でお生まれになりました。お釈迦さまの誕生日のお祝いを「花まつり」というのはこのためです。
 シャカ族の王子としてお生まれになったお釈迦さまは、「ゴータマ・シッダールタ」と名づけられました。お生まれになってすぐに7歩進み、右手で天を、左手で地を指差し「天上天下唯我独尊」と宣言されたと伝えられています。これをいろんな事を飛ばして極端に訳するならば、私たち一人ひとりかけがえのない尊いいのちをお借りして生きているんだとなります。またお釈迦様ががお生まれになったとき、そのことを祝った竜王が甘露の雨、すなわち甘い雨を降らせたとも伝えられています。ですからそのことを模して花まつりの時お釈迦さまに甘茶をおかけするのです。
 思いを巡らせれば、私達は皆、お釈迦さまと同じように、誰にもかわることの出来ない、かけがえのない「いのち」を生きている事に気づくことでしょう。人類が誕生して以来、数え切れないほどの人々が生き、また現在、数十億の人々が共に存在しているなかで、誰一人として「わたし」と同じように生き、悩み、考え、行動する人はいないのです。人生を変わってくれる人もいません。またみんなかけがえのない「いのち」をいただいて生きているのです。しかしいつの間にか人と比べ優劣をつけ喜んだり落ち込んだりしてしまっています。世界を見渡せば今どこかで正義の名の下で殺し合いが繰り返されているのです。本当に悲しむべきことです。
 4月8日は、お釈迦さまの誕生をお祝いすると同時に、それぞれの「かけがえのないいのちの尊さ」に眼を向け、正しく生きることをお誓いする日にしたいものです。世界人類が違いを認め合いながら尊いいのちを生きる仲間として生きなければならないことに気づく日にしたいものです。

2024年井波別院巡回法座

井波別院瑞泉寺法宝物御巡回のご案内
日 時 2 0 2 4年2月12日(月)午後1時3 0分より
場所常入寺(富山市東老田)
布教使高岡市麻生谷長福寺住職藤井乗師
皆さまお誘い合わせて、お参りください。
※お心のあるお方は、下記の用紙にご記入の上、当日ご懇志を添えて申し出下さい。 (春秋の彼岸会、太子伝会に読経)