370_一切の聖教といふもただ南無阿弥陀仏の六字を信ぜしめんがためなり


一切の聖教といふもただ南無阿弥陀仏の六字を信ぜしめんがためなり

 仏教でお経といわれるものはお釈迦さまが説かれたお説教が書きとどめられているものを指します。厳密に言うならば正信偈は親鸞聖人がお作りになられたうたですのでお経とは言いません。でも、諸先輩方のお書きになられたものも含めてお経と言ってきた文化もたしかにあったので一概にそれは間違いであるともいえません。少なくても仏教の肝要を記されているものをお経と言ってきたのでしょう。
 この世の中に異訳本を含めると八万四千のお経があるといわれています。私はそれをすべて見たこともありませんし、数えたこともありません。ただいえることはお経は誰かのためにあるのではなく、すべて私のために(皆様方一人ひとりにために)あるのです。私一人のためにお説きくださったのがお釈迦ですし、未来永劫の人々にお釈迦様の教えが伝わるよう願われて多くの方々がお経を編纂なされたり、翻訳されてきたのです。いわばお経とは私たちが成仏するための、言い換えれば仏となるための指南書です。お経にどんな力があるのか私にはわかりかねますが、不可思議な力を求めるためにお経を使うというより、本来的な意味で利用する方がお釈迦様はお喜びになられるのではないかと私は思っています。
 蓮如上人はそのお経について「一切の聖教といふも
ただ南無阿弥陀仏の六字を信ぜしめんがためなり」と御文の中にお書きになられています。お経というのは南無阿弥陀仏という六字の名号を信じさせるためにあるのだと、きっぱりおっしゃっておられます。飛躍して訳しますとお釈迦さまが一番お説きになられたかったことは念仏を信じ称えさせるためにあるのだと。やっぱりここまで言うと言い過ぎですね。少なくても私たち念仏を称えるもののお経との付き合い方を示されているのだと思います。お経というのは誰かのために、先祖のために読むものではなくて私のために読んでいかなければならないものなのでしょう。なぜ南無阿弥陀仏の救いを阿弥陀如来がわざわざお作りになられたのか。お経を鏡として我が身を知り、阿弥陀如来の大悲のいわれに頷いていくことが大切なことなのではないでしょうか。

369_多様性が担保されたということは正解が一つじゃなくなったということ

多様性が担保されたということは正解が一つじゃなくなったということ
 「多様性」ということをよく聞くようになりずいぶんとたっているような気がする。25年前、東本願寺で蓮如上人五百回御遠忌法要の教化テーマが「バラバラでいっしょ~差異を認める世界の発見~」であったと記憶している。これも多様性を認めていこうという方向のものだろう。
 今、外を歩いていてもいろんな言語が聞こえてくる。中国語っぽいもの、タイ語っぽいもの、もしかしたらベトナム語っていうのも。こんな田舎までいろんな国がおられるのが事実。もう多様性の社会になっていると言ってもいいのかもしれない。でも私たちの生活は何も変わらないし、価値観も変わらない。そして自分と異なるものに対してなんとなく拒否反応を起こしてしまっている。日本語でない言語を聞くとなんとなくびっくりする。何を言っているのかわからないということもあるのだろうけど。
 自分と違う言語の人がいるということは違う文化を持っている人がいるということ。いろんな価値観を持った人たちが一緒に暮らしているということ。いろんな価値観を持った人がいるということはいろんな正解を持った人がいるということであると思う。それを認めていくことが大事あり、そしてこれが一番難しい。
 日本人というひとくくりの中でもみんな同じ価値観を持っているのだろうか。いやそうではなくて一人ひとりの人生の中でそれぞれいろんな経験もしてきている。そのなかでそれぞれの価値観を持ち、それぞれの正解を持って生きているのではないだろうか。
 そしてそのところで何度かみんな苦しんでいるはずだ。皆さんも誰も自分を認めてくれないと嘆いたことはなかっただろうか。
 いろんな正解がこの世にあるのだと認識することから多様性社会を私たちが作っていく事ができるのだろうし、一人ひとりを認め尊敬することができるようになっていくのではなかろうか。

368_祠堂経会案内号_御文をいただく 其の六十七五帳目第九通③


御文をいただく 其の六十七 五帳目第九通③

 親鸞聖人がお作りになられた正信偈は「帰命無量寿如来 南無不可思議光」という言葉から始まります。実はどちらも南無阿弥陀仏ということです。親鸞聖人なりに言い直されたことばといえると思います。南無という言葉と帰命という言葉は同じ意味です。南無というのは元々むかしのインドの言葉です。そのインドの言葉の発音を漢字で書き表したのが南無となります。また意味から漢字で表したのが帰命になります。どちらも元々古いインドの言葉ナマスから来ているのです。
 余談ですが、今インドやネパールで交わらされる挨拶の言葉はナマステと言うそうです。あったときだけではなく別れの時も。ナマステはナマスとテに分解できるそうです。ナマスは敬礼・服従するという意味で、テは「あなたに」の意味です。意味からするとあなたを尊敬しますとなります。こういう意味の言葉が挨拶の言葉として使われていることに驚きというか頭がさがる思いがします。
 ナマステのところで書きましたようにナマスとは敬礼・従服を意味する言葉です。帰命という言葉も漢字を見ただけではなかなか意味のわかる言葉ではありませんが、南無と同じ、頭が下がります、という意味になります。ですから南無阿弥陀仏というのは阿弥陀仏に帰依するという意味があるのです。   (つづく)

366_御文をいただく 其の六十六五帳目第九通②


御文をいただく 其の六十六五帳目第九通②
《現代語試訳》
浄土真宗でいう心の安らぎとは、ただ「南無阿弥陀仏」の六字のこころに頷けたときです。六字の心ということを具体的に言えば私たちが南無阿弥陀仏と帰命するならば、やがて阿弥陀仏がたすけてくださるこころと言うことです。

 宗教とはある意味で生きていく中での安らぎを与えるものでしょう。その安らぎを浄土真宗では、ただ一つ南無阿弥陀仏のこころを、理解することと。ここではの述べておらられています。
 言葉を付け加えるならば今わたしが聞いたり称えたりしている南無阿弥陀仏という念仏は私を今救うがために阿弥陀如来様からお運びくださっているのだという事実に頷きそしてそれが安らぎとなるのです。
 念仏を称えてこられた先輩方が「信心」「安心」といっておられたのがこのことです。他人ごとで文章の意味からしたら難しいことではありませんが、私ごととして考えていくとわからなくなってきますね。阿弥陀さまからいただいた念仏と言われてもピンとこないのも確かなことでしょう。しかし他人ごとでも浄土真宗の教えを聞き続けていく中でやがて頷けるときもくるのではないかとも思います。阿弥陀差様がこんな私たちにもで私たちのために念仏と念仏を称える心を運んでくださっていいるのですから。そしてそのことを他力とおっしゃってこられたのでしょう。
 

今月のことば_2023年05月

落ち込んだあなたは頑張った証拠
明石家さんま

こんなこと言われたらちょっと元気になりますよね的なことばですね。インターネットをうろうろしていて見つけたことばです。

365

4月8日はお釈迦さまのお生まれにならられた日「花祭り」を催しお祝いする日です
4月8日は、お釈迦さまのお誕生をお祝いする「花まつり」の日です。花まつりは、仏教寺院だけでなく、多くの仏教系の幼稚園や保育園、学校などで、広く行われています。
 お釈迦さまは、今からおよそ2500年前、現在のインド国境に近いネパールの地、ルンビニーの花園でお生まれになりました。お釈迦さまの誕生日のお祝いを「花まつり」というのはこのためです。
 シャカ族の王子としてお生まれになったお釈迦さまは、「ゴータマ・シッダールタ」と名づけられました。伝説では、お生まれになってすぐに七歩進み、右手で天を、左手で地を指差し「天上天下唯我独尊」と宣言されたといわれています。この言葉は俺がこの世で一番偉いのだという意味ではないのです。偉いのではなく尊いのです。なぜ尊いのかと言えば真理を悟る身だからなのです。いろんな事を省略して「人は誰もが、かけがえのない命を生きている」という、仏教のもつ人間尊重の精神を端的にあらわしていると言われることもあります。。またこの時に、お釈迦さまの誕生を祝った竜王が甘露の雨、すなわち甘い雨を降らせたとも伝えられています。そのルンビニー園の誕生の様子を表した「花御堂」を花まつりでは飾り、その中央には天地を指差したお釈迦さまの誕生のお姿を安置し、甘露の雨を模した甘茶をかけ、華やかにお祝いします。
 思いを巡らせれば、私達は皆、お釈迦さまと同じように、誰にもかわることの出来ない、かけがえのない「いのち」を生きている事に気づくことでしょう。人類が誕生して以来、数え切れないほどの人びとが生き、また現在、数十億の人びとが共に存在しているなかで、誰一人として「わたし」と同じように生き、悩み、考え、行動する人はいないのです。また、みんなかけがえのない「いのち」をいただいて生きているのにいつの間にか優劣をつけて喜んだりしてしまっています。世界のどこかで正義の名の下で殺し合いが繰り返されています。
 4月8日は、お釈迦さまの誕生をお祝いすると同時に、それぞれの「かけがえのないいのちの尊さ」に眼を向け、正しく生きることをお誓いする日にしたいものです。世界人類が違いを認め合いながら尊いいのちを生きる仲間として生きなければならないことに気づく日にしたいものです。
 老田仏教会では4月8日(土)午後より西二俣の長福寺さんで釈尊降誕会、すなわち花祭りを催します。よろしければお参りください。

今月のことば_2023年04月

嫌なことは全部ボーナスポイントと思ったら
後でかえってくるわ
笑福亭鶴瓶

鶴瓶師匠のように私は中々全部かえってくるとは思えませんが、少なくてもその出来事が私の人生の肥やしにはなっているとは思います。というか、嫌だったこと良かったこと、すべての出来事で私の今が形成されていると思うのです。

364 御文をいただく  御文をいただく 其の六十五 五帳目第九通①

彼岸会
 彼岸は年に2回あります。春彼岸と秋彼岸です。 春彼岸は3月の春分の日を中心とした前後7日間、秋彼岸は9月の秋分の日を中心とした前後7日間のことです。 彼岸の始まりは「彼岸の入り」、最終日を「彼岸明け」、そして彼岸の真ん中にあたる春分・秋分の日を「中日(なかび、ちゅうにち)」と呼びます。その期間に勤める法会を彼岸会といいます。
 「彼岸」という言葉は、昔のインド地方の言葉であるサンスクリット語の「パーラミター(波羅蜜多)」が語源です。「向こう岸に至る」という意味があります。ですから彼岸とは私たちが今生きる、苦しみに満ちたこの世とは対照的な向こう側の世界、仏教の理想世界とされる悟りの境地や浄土のことです。
 春分、秋分の日は昼と夜の時間がほとんど同じ日であり、太陽は真東から登り、真西に沈みます。ですから春分・秋分の日は現世と浄土が最も近くなる日とされています。また西方浄土(彼岸)がどちらにあるかわかる日、私たちが進むべき道がはっきりする日なのです。
 お彼岸の日にはお墓参りをしたりして先祖偲びます。また先祖が私(たち)に「あなたも死す身だよ」と私たちに呼びかけてくださっていることに気づいていくことが大切でしょう。限りあるいのちをいただき、今を生きている私はどのように今まで生きてきたのか、だからこれからどのようにこれから生きていかないといけないのか、そういうことを振り返ったり考えたりすることもお彼岸の大切な過ごし方なのではないでしょうか。
 常入寺では毎年、城端別院の巡回法座と併せて彼岸会を勤めさせていただいています。よろしければ是非お参りいただきお説教を聴聞いただきたく思います。本堂を暖かくしてお待ちいたしております。

御文をいただく 其の六十五 五帳目第九通①
 私たちの浄土真宗の教えは南無阿弥陀仏と称えて浄土往生を願い生きていくというものです。しかし私たちの先輩方はただ南無阿弥陀仏と声に出して称えていれば済むものでもないとよくおっしゃいます、安心・信心が大切なのだと。この御文でも「当流の安心の一義といふはただ南無阿弥陀仏の六字のこころなり」と書かれています。安心とは安心する心、信ずる心を意味します。浄土真宗での安らぎの境地とは、ただ南無阿弥陀仏の六字に込められた阿弥陀如来のお心にうなづいていくことですと書きとどめられています。私が今不思議にも称えさせていただいている南無阿弥陀仏というお念仏が、なぜ私のところにやってきたのか、なぜ私が称えてしまっているのか、そういうことを尋ねていくことが大切ですよとおっしゃっておられるのでしょう。

今月のことば_2023年03月

2023年3月_今月のことば
人生とは後悔するために過ごすものである
 コメディアン タモリ
慚は人に羞づ、愧は天に羞づ。これを慚愧と名づく。無慚愧は名づけて人とせず、名づけて畜生とす(お釈迦さま 涅槃経より)

363

2月15日はお釈迦さまが亡くなられた日です

お釈迦さまが亡くなられたことを「涅槃に入られた」といいます。「涅槃」とはさとりの境地、苦しみが消滅した状態を意味します。お釈迦さまがこの世でのいのちを終えたことにより、身体的な苦からも脱して完全な「涅槃」に至ったとすることから、お釈迦さまが亡くなられたことを「涅槃」と称しています。
お釈迦さまは紀元前5世紀ごろルンビニ(ネパールとインドの国境付近)で生まれ、やがて人生の無常を憂い出家されます。そして35歳でさとりを得ます。以後、各地を巡り、煩悩が引きおこす苦しみから逃れ、安らぎを得るという教えを人々に授けました。伝道の旅は、80歳で亡くなられる寸前まで続き、2月15日、旧暦の15日ですから満月の日にお釈迦さまはお亡くなりに成られたと言い伝えられています。お釈迦さまは自分の死が近いことを察しられ弟子たちにこのように説かれました。
「私の亡きあとは、私ではなく自分自身をより所として、また私が伝えた教えを、闇を照らすともしびとして、歩んでゆきなさい」
お釈迦さまは個人崇拝の対象となることを否定され、弟子一人ひとりが確かに、自立して進むことを求めたのでした。
そして
「もろもろの存在は変わりゆく。怠らず精進しなさい。」
という最期の言葉を残し、静かに息をひきとったのでした。
お釈迦さまのご命日を縁として勤めます涅槃会は全国各地で勤められます。また富山ではお釈迦さまのご遺骨を模したものとして4色で彩られた涅槃団子が配られることが多いです。

今月のことば_2023年02月

2023年2月_今月のことば
「おばあちゃんは(おじいちゃんは)何になりたいの?」
小学一年生からの問い
(三重県西恩寺掲示板より輝け!お寺の掲示板大賞二〇二二受賞作品)

2023年井波別院巡回布教【布教使変更にないrました】

井波別院巡回法座
日 時 2月12日(日)ごご時30分より午後3時30分まで
場 所 常入寺本堂
布教使 立島秀哲師(小矢部市 称名寺住職)

通信362

年頭の寄せて
 2023年という新しい年を迎えました。常入寺有縁の皆様方、どうぞ昨年同様本年ももよろしくお願いいたします。
 昨年当初よりロシアがウクライナに侵攻し戦争状態になり、今も続いています。早く戦闘状態は終わらないかな、せめて休戦してくれないかなと思うばかりです。またその影響なのか世界中で物価高になっているようで日本においてもいろんなものが値上がりしてしまってますね。まだまだ値上げラッシュがつづくようです。特に四月からの電気料金値上げは本当に頭を抱えてしまいます。昨年のことに戻りますが、昨年夏の参議院選挙まっただ中に安倍晋三元首相が銃撃され亡くなってしまったというニュースも衝撃的でした。また殺害の理由が旧統一教会への恨みであったというのがまた驚きでした。思い起こしてみれば昨年は印象に残る事件・出来事がいくつかあり、今年の冬に北京でオリンピックが開催されていたことが遠い昔の出来事になってしまっているのが私の現状です。こういうことがあってか是非今年は平穏な日々を過ごせますようにと祈るばかりです。

世のなか安穏なれ
仏法ひろまれ
親鸞聖人

通信361

 皆さん、今月8日は私たちの教主釈迦牟尼仏がお悟りを開かれた日ということをご存じでしょうか?よろしければ覚えておいてください。
 今から約2500年前、インドの北、現在のネパールの地で、釈迦族の王の子としてお生まれになられたお釈迦様は、29歳の時に世の無常を感じて、約束されていた国王の座や妻子を捨てて出家をされました。6年もの間、厳しい苦行を続けられましたが、苦行をすることでは真理を見いだせないとお気づきになられ苦行をすることをおやめになられました。その後、苦行をされた近くの村でスジャータという娘さんより施された乳粥によって、苦行で疲れ切った身体を癒されました。その後近くにあった菩提樹という木の下で瞑想ををはじめられ、そして12月8日の早朝、暁の明星の輝きとともに、お釈迦様はついにお悟りをお開きになられれたのです。つまり、12月8日はは仏教の教えが生まれた大切な日を意味するのです。
 さてお釈迦さまのお悟りとはどういうものだったのでしょう。しかしこのことを知り納得できたならば仏様となることができます。ですからそう簡単に私たちが理解することは不可能でしょう。しかし方向性のようなものならば私たちは理解できるかもしれません。このことを知るためにはどうしてお釈迦さまが王様になる約束と家族を捨て出家なさったのかということを訪ねていくべきなのでしょう。なぜ出家なさったのかということを知る手がかりとして「四門出遊」という話しが伝えられていると思います。四門出遊の話というのは以下のものです。
 今から約2500年前のインドにお生まれになられたお釈迦様はお母様と産後まもなく死別されたということがあってかいろんな事に敏感になりよく物思いにふけられていたそうです。そのことを心配されてか父である王様は美味しい食べ物毎日与えられたり、楽しいイベントを催されたりしてあまり物思いにふけないように心がけれられ育てられました。ある時、お城の外の暮らしもどんなものか見てみたいと思ったお釈迦様は、家来を連れて、お城の東西南北4つの門から出かけることにしました。東の城門を出られたお釈迦様は、道に、歯がおち腰はまがり杖にたよって歩く老人の姿をご覧になられました。その枯れ木のような老人の姿を見て、人間、誰しもがやがて必ず、あのように老いていかねばならないと、老いの苦しみを痛感されたのです。またある日、南門を出たとき、病人を見られ、人は病むという病苦の現実を深く実感されました。そして西門を出られたときに、葬式の行列を見られました。先ほどまで元気だった人が、青白くなって、もう動かなくなる。そして、焼かれてひとつまみの白骨になってしまう。人は必ず死んでいかねばならない。やがて死ぬのになぜ生きるのだろうか。人間は必ず死んでいくという、死苦の現実をまざまざと知られたのです。最後に北門を出られたとき、出家した僧侶を見て、人間は限りあるいのちを、自分の欲を満たすために生きるのではなく、老いや病や死を超えたなにか普遍的な真理を求めるために生きているのではないだろうか。私も、老いても病んでも、そしていざ死ぬとなっても崩れない本当の幸せになりたい、と、真実の幸福を求める気持ちは日に日に強くなっていかれたのです。これが四門出遊の話です。
 お釈迦様は老・病・死、そして生という人間の避けることのできない苦を見抜かれ、その苦から解放されることを願い出家されたのです。