御文をいただく 其の六十七 五帳目第九通③
親鸞聖人がお作りになられた正信偈は「帰命無量寿如来 南無不可思議光」という言葉から始まります。実はどちらも南無阿弥陀仏ということです。親鸞聖人なりに言い直されたことばといえると思います。南無という言葉と帰命という言葉は同じ意味です。南無というのは元々むかしのインドの言葉です。そのインドの言葉の発音を漢字で書き表したのが南無となります。また意味から漢字で表したのが帰命になります。どちらも元々古いインドの言葉ナマスから来ているのです。
余談ですが、今インドやネパールで交わらされる挨拶の言葉はナマステと言うそうです。あったときだけではなく別れの時も。ナマステはナマスとテに分解できるそうです。ナマスは敬礼・服従するという意味で、テは「あなたに」の意味です。意味からするとあなたを尊敬しますとなります。こういう意味の言葉が挨拶の言葉として使われていることに驚きというか頭がさがる思いがします。
ナマステのところで書きましたようにナマスとは敬礼・従服を意味する言葉です。帰命という言葉も漢字を見ただけではなかなか意味のわかる言葉ではありませんが、南無と同じ、頭が下がります、という意味になります。ですから南無阿弥陀仏というのは阿弥陀仏に帰依するという意味があるのです。 (つづく)