366_御文をいただく 其の六十六五帳目第九通②


御文をいただく 其の六十六五帳目第九通②
《現代語試訳》
浄土真宗でいう心の安らぎとは、ただ「南無阿弥陀仏」の六字のこころに頷けたときです。六字の心ということを具体的に言えば私たちが南無阿弥陀仏と帰命するならば、やがて阿弥陀仏がたすけてくださるこころと言うことです。

 宗教とはある意味で生きていく中での安らぎを与えるものでしょう。その安らぎを浄土真宗では、ただ一つ南無阿弥陀仏のこころを、理解することと。ここではの述べておらられています。
 言葉を付け加えるならば今わたしが聞いたり称えたりしている南無阿弥陀仏という念仏は私を今救うがために阿弥陀如来様からお運びくださっているのだという事実に頷きそしてそれが安らぎとなるのです。
 念仏を称えてこられた先輩方が「信心」「安心」といっておられたのがこのことです。他人ごとで文章の意味からしたら難しいことではありませんが、私ごととして考えていくとわからなくなってきますね。阿弥陀さまからいただいた念仏と言われてもピンとこないのも確かなことでしょう。しかし他人ごとでも浄土真宗の教えを聞き続けていく中でやがて頷けるときもくるのではないかとも思います。阿弥陀差様がこんな私たちにもで私たちのために念仏と念仏を称える心を運んでくださっていいるのですから。そしてそのことを他力とおっしゃってこられたのでしょう。
 

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