345_報恩講の案内

報恩講厳修
十月三十一日午後二時より十一月一日午後三時まで

報恩講ではお念仏の声を共に聞いていきましょう

日  程
10月31日(日)   午後2時より 午後のおつとめ
11月1日(月) 午前9時30分より 午前のおつとめ
      午後1時30分より まとめのおつとめ
お説教は各と勤めの後にあります。
お話しくださるのは 松井 勇さん(南砺市)です。

★長寿者などを対象に自宅からゴボハンへ、ゴボハンから自宅への送迎サービス(無料)を実施いたします。前もって電話をいただければ係のものが迎えにまいります。 是非ご利用ください。

※例年のごとく1日にオトキを用意しています。しかし、感染症拡散予防のためオトキは持ち帰り用の弁当とし、遠方の方以外はご自宅で召し上がっていただきます。(予定)
※お参りの際にはマスク着用にてお参りください。

御文をいただく 其の六十 五帳目第八通④

 最近私たちに伝えられてきた「南無阿弥陀仏」という言葉は称えるということよりも聞くということを大切にしていきたいなって私は思っています。
 私たちを救ってくだされようとしておられる阿弥陀如来さんは我が名を称えると必ず救ってやるぞとお誓いくださっているわけですから、この言葉を信じて素直に称えていればよいわけですけどね。しかしなかなかそのことが信じにくい、素直に頷けない面がありますね、私の場合は。そういう私には修行のように無我夢中で南無阿弥陀仏なむあみだぶつと四六時中念仏を称え続けるべきなのでしょうが、やってはないですが、やればやるほど疑いのこころがわいてきそうで仕方ありません。だから称えてはいけないとは全く思いませんが、阿弥陀如来様はなぜ南無阿弥陀佛という言葉で私を救おうと思いつかれたのかということをお念仏を聞きながら訪ね続けていくこと私は大事にしていきたいなって思っているのです。
 また私が念仏を知ったのも私の身近なところで念仏を称えておられた方がいたからではないでしょうか。単に家の宗教が浄土真宗であったり浄土宗であったからということよりも私の身近な人が念仏を称えておられ、それを聞き続けた事実があるから念仏に出会えることが聞きているのではないでしょうか。また私の身近でお念仏を称えられてこられた方々はどんな思いで念仏を称えてこられたのでしょうか。大きな大きな願いの中で念仏が称えられてきたのではないでしょうか。その大きな願いと一緒に私のところに念仏の声が押し寄せてきているような気がします。「一切衆生(生きとし生けるもの)が浄土に生まれなければならない」という願いが私にまで南無阿弥陀仏という声となって響き渡って来ているような気がしてなりません。
 お念仏の声から一切衆生を救わんとする願いを聞き取っていくことが大切なような気がして私はなりません。

コメントする