279 御文をいただく 其の四二 五帖目第五通②

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信心

 蓮如上人は私のイメージに過ぎないのですが、御文の中で信心ということをよく言われているような気がします。それは一つには南無阿弥陀仏という一声さえ出したくても出せない人は救われるのかという問いの中で声に出すより唱えたいという心が大事だとある意味門戸を広げられたということがあると思います。そしてもう一つ、ただ念仏申す生活の歩みの中で多くの人がどういう心持ちで念仏申せばよいのかという四禅に起きてくる自然に起きてくる問いへの応えとして書かれているということもあるのではないかと最近思うわけです。
 浄土真宗は迷いなく念仏申してお浄土に生まれることをすすめる教えです。ですから念仏を称えるという行為を何よりも大切西ないといけません。しかしただ念仏申し生活をしていこうとすればするほど「これでいいのだろうか」「本当に念仏申しだけでよいのであろうか」「どのような心持ちで念仏申せばよいのだろうか」というような疑問が湧いてくる方がお買ったのではないでしょうか。そういう疑問が湧いてきている方々に対し蓮如上人は信心・安心と言う言葉でもってお答えになって行かれたのではないだろうかと最近思うのです。
 そういう意味で蓮如上人は信心ということは念仏申し続けることのできる心という意味で使われておられるといってもうよいのではないでしょうか。