274 御文をいただく 其の三九 五帖目第三通⑦

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御文をいただく 其の三九 五帖目第三通⑦南無阿弥陀仏

 私たちの教えは南無阿弥陀仏とお念仏申して阿弥陀仏にお浄土に救っていただく教えであります。ある意味お浄土に救ってもらうためにお念仏を申すわけです。そういうことを受けて考えれば浄土に生まれさせてほしいと願う心で念仏申すということが大切だということになるはずなのですが、しかし本願寺の八代、蓮如上人は御文という念仏を申すことを進めるお手紙の中で「このうえには、なおなお、とうとくおもいたてまつらんこころのおこらん時は、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と、時をもいわず、所をもきらわず、念仏申すべし。これをすなわち仏恩報謝の念仏と申すなり(『御文』五帖目第四通)」と記されているように、感謝の心で念仏申せと教えてくださっています。私を救ってくださいという思いををどんどん強くしていけばよいのではなく、私を救ってくれる念仏がすでに私の周りで響いている、すでに念仏を大事に称えておられる方がいる、そのようして念仏がすでに私に阿弥陀さまから届けられていることに感謝してお念仏申すことが大事だと教えてくださっています。単に未来をお願いしますと呪文のように南無阿弥陀仏と申すのではなく、私に念仏がすでにあることを喜び南無阿弥陀仏と申すことが大切なのでしょう。
 私がすでに称えていたり聞いている南無阿弥陀仏は阿弥陀仏が私を救うために働きかけてくださっていたものであったことに頷くことが他力の信心といわれる私たちの先輩方が大切にされた気づきなのでしょう。

共に生きるという課題

 神奈川県の障がい者施設で元職員の方が多くの入所者の方を死傷させたという事件が起こったのは今年の7月26日でした。死者19名、重軽傷者26名に及びました。あの日はたまたま早起きしてNHKのニュースを見てたら速報が流れたことを記憶しています。多くの入所者が死傷されているということだけでドキッとして、そしてその容疑者がどうも前その施設で働いていた方であると流れてきていっそう血の気が引いたのを思い出します。また彼は「知的障害者や重複障害者は1人で生きることができず、税金で養ってもらっているのだから安楽死させるべき」というようなことも発言していたことがあるとも報道されていました。本当に考えさせられます。
 約2ヶ月経つ今またあの事件のことをまた思い出しています。先日たまたまインターネットを見ていたら、フリーアナウンサーがブログのタイトルに「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ! 無理だと泣くならそのまま殺せ! 今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!」ということが書かれていていわゆるネットの中で大炎上していることを知った。上記の事件とおんなじ問題を抱えているような気がした。どちらも社会にとって不必要なひと、いや、不利益な者は生きている価値がない、殺してもいい、殺すべきだという考え方から来ているのではないだろうか。本当に目を覆いたくなるような考え方だ。だけどこれは特別な人の考え方でたまたな重なっただけなのだろうか。私はそういうふうには思えない。
 私たちは社会に対して害のあるヤツだから殺してやるということまでは思う人はそういないだろうが、ゴキブリなど害虫といわれる虫は殺して当然だと思い平気で殺していないだろうか。いや人間に対してもあんな凶悪で私たちに害をもたらす者は信で当然だ。死刑にしてしまえとなにげに思ってしまうのが私たちではないでしょうか。現にこの神奈川県で起きた事件の容疑者に対して早く死刑にすべきであると思っていませんか?本当にややこしいものを抱えて私たちは生きているのではないでしょうか。