269 円融至徳の嘉号は 悪を転じて徳と成す正智

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円融至徳の嘉号は悪を転じて徳と成す正智

この言葉は私たちの宗祖親鸞聖人が顕真実教行証文類序におさめられているものです。円融至徳の嘉号というのを一言で言えば南無阿弥陀仏という念仏です。正智というのは、まさしく阿弥陀仏の智慧である、というふうに理解すればよいと思います。悪は招かざる客、避けたくなることと理解すればよいでしょう。また徳と言う字にも注目しておかなければならないでしょう。損得の得ではありません。徳という漢字にはめぐみ、すぐれる、利益、財産という意味があります。
 ですから、お念仏を称える生活をすれば避けることができるならば避けたくなる引き受けたくない事実が自分にとって善になると言うことはないかも知れないけど、その悪と向き合うことができ、自分にとって大切な事実であるということに気づかせてもらえる阿弥陀仏の智慧なのです、というふうに読むことができると思います。
 私たちが引き受けたくないものとして誰もがうなづいていただけるものとして自分の死、身内や友人の死というものがあるのではないでしょうか。念仏を称える生活をする中で死が単なる避けたいことに留まらず、自分にとって大事なことを考えさせてくださったり大事なことに気づかせてくだされる阿弥陀仏の私を救おうとなさっている働きであったと気づかせてもらえるのだとおっしゃられているのではないでしょうか。
 自分の死を自覚せざるを得ない事柄に出合うことによって初めて自分の人生を振り返る方は多いのではいでないでしょうか。縁ある方がこの世の生を終えられることによっていつも思わないこと、自分が思うはずもないことを思うということもあるのではないでしょうか。死というのは嫌なこと避けたいことには間違いはないですが、それだけではないのかも知れません。違う反面があるような気がしてなりません。大きな災害が起きたとき沢山の災害ボランティアの方々が集まるというのはそういうことなのではないだろうか。