253 これからのお寺

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これからのお寺
 長らく常入寺で教室を開かれていたそろばん教室が先月いっぱいで東老田教室を終了されました。私が住職を務める前からではなかったかと記憶しています、不確かですが...。皆さんのお子さんやお孫さんも通われていたお宅も少なくはないと思います。お家賃をいただけていたという点でも助かっていたのですが、それよりお寺に足を運ぶ機会が少なかったであろう方々と縁を結んでくださったという役割も担っていてくださっていたようにも思います。法事などの場で「私小学生の時そろばん教室に行っていたんですよ」「あなたのお寺はそろばん教室を開かれていたお寺ですか?」などとおっしゃってくださった方が数人おられたわけですから。
 地下鉄サリン事件が起きて先月で20年経ったそうなのですが、その時オーム真理教の信者の方の言葉として「お寺は単なる風景でしかなかった」というものを紹介していただいたことがあります。今までは常入寺はほとんど風景だったかもしれませんが、でも「そろばんのお寺」としては何とか認知されていたことなのでしょう。そういう意味では首の皮一枚で単なる風景ではなかったかもしれません。もしかするとこれからはお寺って何するところ?私には全く縁のないところと言うことになっていってしまうかもしれません。これからの展開をしっかりしないとせっかく皆さんが維持なさってこられたお寺なのにもったいないことになってしまう可能性があると感じるのです。
 さて、お寺はどうなっていったら単なる風景としてでなくなるのでしょう。お寺って何するところなのでしょうか? お坊さんは何をしてくれる人かという問いには答えられてもお寺はどういうところと答えることができる人は少ないでしょう。特にいわゆる修行をしない浄土真宗のお寺では...。
 念仏申されてきた先輩は浄土真宗のお寺は「聞法の道場」だと教えてくださってます。お説教を聞く場所って言うことなのでしょうね。お坊さんが特殊な修行をするところではなく、誰もが集う場所なのでしょう。お念仏にであう場所なのでしょう。お寺を多くの人が集える場所なり、念仏を届けていただいている者同士互いを認め合いながら語り合える場としてこれからは意識してお寺の場を創っていかなくてはと思わざるを得ない春のひとときです。