通信241 御文をいただく 其の二九 帖目第四通⑧ 仏を頼む心

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祠 堂
 お寺に寄付をすることを祠堂といいます。どうも祠堂銭という言い方を以前はしていたようです。身内が亡くなられたことを縁としてお寺に祠堂されることが多いです。いつ祠堂すればよいのですかと聞かれることがありますが、寄付ですので、しなければいけないこともありませんし、いつということも決まってはいません。思い立ったときお寺にお持ちいただければよろしいです。また金額もお気持ちをお入れください。多い少ないということはありません。祠堂しようというお気持ちがお寺にとってこの上ない喜びです。
 常入寺では祠堂を頂いた方々に祠堂のお勤めを祠堂経会の初日にまとめてさせていただいています。今年の祠堂経会の時にと思われるのでしたら出来るだけ早くお申し込みください。準備の都合等がございますので、祠堂経会の当日祠堂いただいてもお勤めできないこともございます事ご了承ください。
 祠堂ということを辞書で調べてみると「① 祖先の霊を祭る所。御霊屋。持仏堂。② 寺の、檀家の位牌を納めておく堂。位牌堂。③ 神仏を祭った小さな社。ほこら。」というように出てきます。意味を調べてみると自分はちょっと悩むところがあるのですが、持仏堂、ほこらという意味に注目したくなります。私たちが一番大事にしていかなければならないもの、生きていく上でたよりにしていかなければならないものを明らかにしてそれを相続していくことをいうのだと私は思うのです。その中で私たちの先輩方は大事にしなければならないものはお寺だとあきらかにされてこられたことなのでしょう。お寺が大事ということは仏様の教えを大事にしていくということです。ある意味自分中心,自分の思うような生き方ではなく、仏様の教えに基づき生きていくという生き方なのでしょう。生き方として仏様の教えを私たちは聞いてみるという歩みを心がけていくことが大事であり、祠堂をされてきた方々の本当の心なのでしょう。 そういう意味で祠堂というのは金額が問題なのでは無く祠堂をするという行為、心が大事なのでしょう。私はそのように頂いています。
御文をいただく 其の二九 5帖目第四通⑧ 仏を頼む心
 阿弥陀如来様は私たち全てのものをすくい取ろうとはたらき続けておられる仏様です。しかしみんなが無条件にすくい取られていくかといえばどうもそうではないようです。阿弥陀さん、この私を助けてくださいと深く思う、そういう心が必要なようであります。そのことがまずここの部分でいわれていることだと思うのです。阿弥陀如来がお造りになられた浄土に行きたいか行きたくないかと、阿弥陀さまが私たちにまず問いかけてくだされているかのようです。
 それは言い替えると貴方はこれからどういう生き方をしていきますか?どういう未来を求めて、どういう未来を必要として生きていきますか?そのように私たちに聞かれているように私は思えるのです。できるできないということではなく、今のままで貴方はこれでいいのですか、満足していますかと今の私の生き方を問うておられるのでしょう。未来を問うことによって今の自分の生き方を仏様は私に問い続けておられることなのでしょう。仏様の視点から見ると私たちの今の生き方に疑問を持っておられることなのでしょう。このままではあかんと言ってくだされていることなのでしょう。だから我が名を称え我が国に来いと。
 阿弥陀如来様は私たちを哀れみ悲み、すくい取ろうとなさっていることを私たちは忘れてはいけないような気がするのです、私は。今を良しとして、死んでからも同じような良いところに行きたい、そういう思いで阿弥陀さまにお願いをするのは,少し、いやだいぶ阿弥陀さまのお心に反することなのではないかと思うのです。