237 御文をいただく 其の二七 五帖目第四通⑥ 如来

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御文をいただく 其の二七 帖目第四通⑥ 如来

 如来とは如と言われる真実の世界から来られた存在、はたらきという意味です。もっと簡単に言えば「仏」とほとんど同じ意味で使われています。ですから阿弥陀如来、阿弥陀仏も同じ意味を持ちます。阿弥陀如仏は私たちの所に真実の正解からおいでになってくださっている存在、はたらきを言います。
 私たちがご本山頂戴してご本尊としてお仏壇安置している阿弥陀如来の絵像の裏側には「方便法身尊形」と記されています。法身というのは如と同じく真実の世界という意味です。また、方便というのは手立て・方法という意味です。ですから方便法身とは真実の世界へ近づけさせるはたらきという意味といただくことができます。
 また方便という言葉を使った慣用句として「嘘も方便」というものがありますね。意味としては嘘はつくのはいけないことだけど時には大事なことに築かせるためには必要なこともある、と言うことでしょう。この慣用句は元々は「有相も方便」と教えて頂いたことが私はあります。それが転じていったことだそうです。有相というのは相あること、形有ると言うことです。形有ることが方便なのだと。もともと真実の世界というのは私達の思いを超えたもの理解しにくいものです。そういう意味で真実の世界は形がないのです。しかしそういう世界なのですが、私たちのためにわざわざ姿をもって、私たちのわかる形となって現れて、真実の世界に導いてくださっているのが仏様なのです。そういう意味で私のわかる形として現れてくださったはたらきを尊い形なのでしょう。だから尊形なのでしょう。
 如来様は絵像様として私たちの前に現れてくださったり、「南無阿弥陀仏」という言葉として表れてくださっています、真実の世界に。またなぜわざわざ私たちのわかる姿となって私たちを真実の世界に導いてくださっているのでしょうか。そのことにうなづけたなら本当に尊形として頂けることでしょう。この尊形が、ご本尊であったと、本当に尊いことであったとうなずかせて頂けることになり、当たり前のように手が合わさってしまうことなのではないかと思うのです。
阿弥陀如来様が仏となられたいわれを一緒に聞いていきましょう。