232 慈悲に聖道浄土のかわりめあり

232.jpg

 先日富山駅近くの富山明治安田生命ホールにて「今こそ考えようハンセン病」というシンポジウムに参加してきました。その中ではいろんな出遇いやいろんなことを考えさせられたのです。そのなかで弁護士さんの話が特に印象に残っています。
 その弁護士さんはハンセン病国倍訴訟の時から関わっておられ、訴訟が終わって12年経った今でも原告の方々とおつきあいされています。皆さんで旅行にもできかけおられます。その方が仰るには、今日まで関わっているのは、「かわいそうな人を何とかしないという思いで関わってきたわけではない。最初はそうだったかも知れないけど今は違う。一緒にいたら元気になれる。楽しいんだ」と仰っておられました。その言葉が非常に納得できてうなづかされました。同じようなことで災害ボランティアに出かけた方も「被災された方を元気づけようと思っていたっけど反対に元気をもらって帰ってきた」なんていう話も聞きます。私も何度かボランティアに出かけたことがありますが、同じようなことを思ったことがあったのです。
 ボランティアやいろんな活動は相手を助けないとという気持ちや同情、哀れみの心そして正義感だけではなかなか長続きしないのかもと思うのです。哀れみや同情の対象でなくなったら終わってしまうのです。ある意味相手を尊敬する思いと言う者がなければ長いおつきあいはできないことだと思うのです。元気もらう相手として見いだしたり、生きる中で大切なことをあきらかにしてくれる人だという出遇いの中で永遠の関係が築かれてくるのではないのでしょうか。
慈悲に聖道・浄土のかわりめあり。聖道の慈悲というは、ものをあわれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもうがごとくたすけとぐること、きわめてありがたし。
と言う『歎異抄』に書きとどめられている親鸞聖人のお言葉が身にしみます。