230 御文をいただく 其の二五 五帖目第四通④

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罪について
 罪ということについてインターネットで調べると「罪とは、通常、禁止されている行為や不正とされている行為を行うことを意味するが、宗教によっては(特にキリスト教の教派)、罪は特定の行為のみでなく、そのような行為や悪意を心に抱いている精神状態、をも意味することがある。口頭で行う不道徳、羞恥的、有害、異端とみなされるいかなる意見や言葉、行為も<罪深い>とされることがある。」とありました。私たちの常識の中では罪がある人は悪人で、罪のない人は悪人とされます。また善人は極楽にいけて悪人は地獄にオチとされてしまうのだと聞かされて私たちは育ってきたような気がします。
 私は最近運転をしないので言うのかも知れませんが、車を運転されている方で法定速度といわれるものを守って運転されている方はどれだけおられるのかな、と思うのです。私が運転をしていたときは、まぁ10キロぐらいオーバーしてもいいのではないだろうか、10キロ未満なら捕まらない,だからいいのだ。なんていうことを勝手に思って運転していました。今は皆さん方はどういう運転をなさっているのかわかりませんが、私が運転していた頃はそういう人がほとんどだったような気がします。たまに法定速度を守って運転されている方に遭遇するといらだちさえ覚えることがあったように記憶します。法定速度を守っている人の方がある意味罪のある人という意識があったのかも知れません。本来してはいけないことをするのが罪というのだそうですが、スピード-バーで車を運転することは罪なこととなるはずなのですが、私たちの意識の中では罪を犯しているという意識はほとんどないのではないでしょうか。
 このことは車の運転に限らず、私たちが生活する中で似たようなことが沢山あるのではないでしょうか。感覚が麻痺してこれは罪でないと勝手に思ってしまったり、自覚できずに犯している罪は私たちの生活の中に沢山あるのではないでしょうか。また、悪意を心に抱いている場合も罪となるのであればなおさらのことなのではないでしょうか。
 人間に罪を犯さない人や前任と言われる人は存在するのでしょうか。善人を目指すことや善人に居続けることよりその前に、自分の罪にどれだけ気づいていけるのかと言うことの方が私たちが生きていく中で大切な問題だといえるのではないでしょうか。
 蓮如上人が御文を通して罪深きものよと呼びかけてくだされているのは、私たちのことであり、私のことなのです。他人に話しかけておられるのでは決してないのです。