行ってきました 国立ハンセン病療養所栗生楽泉園

9月12~13日に群馬県草津にある国立ハンセン病療養所栗生楽泉園に行ってきました。
長野から白根山を通って、草津まで行きました。白根山を通る国道は日本一高いところを通る国道だそうです。iPhoneで見てみると1500はとうに超えてました。
午前九時過ぎにと山を出たのですけど一時過ぎには楽泉園にたどり着けました。ご飯もゆっくり食べれました。
初日はここの自治会長(もしかしたら元自治会長参加も)さんのお宅へお邪魔してお話を聞きました。園の歴史、三四郎さんの歴史を聞かせていただきました。
三四郎さんはここへ連れてこられる時は所謂お召し列車にのって近くまで来たそうです。郵便車両に乗って。郵便車領の半分は客車になっていたそうで、そこにはハンセン病患者護送中と張り紙がしてあったそうです。三四郎さんは宇都宮の駅から乗せられたそうですけど、宇都宮の駅では白い服を着た人が待っていて、自分の歩く跡を消毒をしながらあとをついてきたそうです。組の様子を見てスゴい病気になったんだと思わされたそうです。宇都宮の病院では病名を告げられず、あそこに行けというようなことを言われ他だけだったそうです、病名については何も言われなかったそうです。
蜂蜜と試をと水で混ぜたものをハダニ塗っておられるということはお話しなさっておられました。そう言われるだけあって、肌すべすべでした。
次の日は、県出身の方にお会いしてお話を聞いたり、園を紹介してもらいました。
この方は無ライ県運動が盛んになる前に発病されたからなのか、病院でハンセン病と診断されたけど、すぐに強制隔離というわけではなかったそうです。そこにある療養所のパンフレット見て速くなおしたい一心で療養所に行くことを自ら決めて警察に申し込んだそうです。選挙も通名というか園名で投票できたそうです。また園に入った時も園名を名告るようなあり方もあるよと優しく助言してもらい、自分はそれに頷きそうしたのだ。と言うことを仰っておられました。どちらにしても家族親類には迷惑をかけたくないということがあったのだろうし、そういうことも説明として優しくは仰っておられたのかもしれないけど、脅しといえば脅しだったのかとも、私は思いました。
その後園の方も一緒に歩いて説明してくださいました。
そう、
園に住んでおられる三分の一は病棟、また三分の一は不自由者棟、残りの三分の一が一般棟だって仰っておられました。
また、一般棟のながやには地名矢山の名前がつけられていたのですけど、不自由者棟は味気のない、A-1というような義号で書かれててました。

  

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