聞法道場に参加してきました。

一昨日、昨日と虫食い状態ですが、聞法道場に参加してきました。本日の文は欠席です。
いつものようにどんな話だったのかということは聞かないでください。
参加はしましたけど、あまり話は聞いてなかったというか、頭の中に残っていません。こう言う話だったろ、っていわれれば、総相と応えるかもしれませんが、自分から口火を切って話すことは出来ません。思い出せん。

これは今に始まったことでなく、いつものことだといわれれば、否定できません。
聞法道場は私が大学を卒業してから書かさず参加している学習会です。
聞法したいからずっと参加してたっていう感じでは私はありません。
正直、講義中は結構居眠りしてました、そして全然違うこと考えていることも結構ありました。
最近は大人になったせいか、さすが居眠りはあまりしませんが、話を集中して聞いてるかといえば未だにそうではありません。
でも、参加することに異議あり的に参加してます。
今回は槽ではなかったですが、夜の懇親会が楽しみで参加していると言っていいのかもしれません。
いていいのだな、なんていう感じが受け止められるからずっと参加しているのかもしれません。誤解かもしれませんが。
自分の居場所みたい感じがするから、参加し続けているのでしょう。
そういう場だからなのでしょう,私がずっと参加しているのは。

同朋会運動についての講義だったんですけど、

昔はすごい運動だったんだろうなぁっていう感じはしますけど、今は運動というよりは、単なる施策でしかないのかもしれません。
ほんとそれは何でなんだろう。いつからなんだろう。
今は今一度願いだけを共有して新たに動き出した方がいいのかもしれないし、止めてもいいのかもしれない。
そう思います。
真宗を立脚地としていない人に真宗を語ってもらうということと、真宗を立脚地としていない人と対話するということは、何か全然違うことなのかもしれない。
自分の想定内の真宗の話しを期待してしまう自分がいると思う。
何が言いたいかよく分かってもらえないかもしれないけど、そんなこと思うんですよね。自分の中でも整理がついてないけど。
念仏を崇高なものにするために有識者や、哲学者のような人たちに、真宗のようなことを、自分たちが期待することをどれだけ語ってもらっても、あまり意味がないのかもしれない。
念佛を称えるものが独りとしていろんな人と出会っていったり対話していくことは大切だけどね。

よう分からんようになってきたけど。整理が全然つかんけど、何か考えています。何か思ってるんですよね。

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