自称ということ

今本漫才師でこの間までよく司会をしていた人が、霊媒師やら占い師とかにマインドコントロールされて自立できてないなんていうことがテレビのワイド賞などで騒がれている。私も一緒になってテレビを見入っているのだけど….

そこで、自称霊媒師とか、自称占い師という詞書になる。
「自称」らしいのだ。
自称というのはその人一人で名乗っているっていうことなのだろう。
でも、私たちの宗祖親鸞聖人は、非僧非俗という言葉で、ある意味自称僧侶だと名乗られている。
もう官度僧としての僧侶の資格は朝廷から剥奪された。だけど、いわゆる俗人として生きる気はなく、誰が認めなくても僧侶として生きる、私度僧として生きていくのだと、非僧非俗と名乗られたことだと思う。
そういう意味で自称という名乗りは大切な名乗りなのではないかと思う。
私たちが自称何々という風にレッテルを貼るときは、あいつかかっに名乗っているだけ、何のライセンスもないやつなのだ。ということなのだろう。
ある意味自らの名乗りというところでこの言い方をするのでなく、ライセンスがるかないかというところで、どこか公のところが認めているかどうかというところで自称という言い方をするのではないだろうか。
本来どんな職業も立場も@「自称」という立場は大切だと思うし、みんな自称なのだ。
本当は公なところが、そのことについて権力を持っているところが認めているかどうか、が大事ではなく、
人が認めていくこと、民衆が認められていくことが大切なことなのではないだろうか。
あいつは自称何々なんていう言い方は抑圧を感じる言葉だ。そう思う、おいらは。

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