209 仏法に聞く歩み

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仏法に聞く歩み
 お釈迦さまは私たちのためにたくさん教えを説いてくださいました。その尊い教えが「お経」として今私たちの処に届いています。ですからお経というのは死んだ人のためにあるものというよりは生きている私たちのためにあるものであり、私たちが聞き続けていかなければいけないものといえると思います。
 お念仏を称えてこられた先輩方は、「仏法を聞くものではなく、仏法に聞いていくものなのだ」とおっしゃられてきました。どこがどう違うのかなんて思ってしまう言い回しです。「を」と「に」の違いです。違いを考えるだけで頭が痛くなってきそうですけど、大きな違いがあるし、大事な違いがあると考えられてきたことなのでしょう。
 私はこんな違いがあるように思っています。自分の知識を高めるために仏法を聞くことと、自分の人生を仏法に聞いていく。前者は仏法はあくまで今のままの自分に役に立つ道具であり、後者は揺るぎない仏法物差しによってによって自分というものがなにものであるか明らかにしていくもの、そういう違いがあるのではないでしょうか。私は仏教は宝石などで作られたネックレスみたく自分を美しく飾っていくものなのではなく、仏様の教えに出遇うことによって、自分につけられた飾りや鎧を一つひとつ外していく歩みなのではないでしょうか。仏法を聞き続けていかなければならない自分に頷いていく歩みが、仏法に聞いていく歩みであると私はいただいています。そういう生活を私たちの先祖たちはお念仏を称えながらされてこられたわけでしょう。