無縁社会という言葉

先日教区の会議で「無縁社会」ということが少し話し合われました。

この言葉何となく知ってたんですけど、よく知りません。NHKが作った言葉だということを教えてもらいました。
でも、この無縁社会という言葉が私嫌いです。
縁がないなんて、…
違うだろう、と思うんですよ。
縁がないんではないんですよ、私たちの社会は。
縁をなくしていったんでしょうけど。
そうです。私たち、縁を切っていったんです。断絶してきたのが私たちの社会だったのではないでしょうか。
だから、無縁社会という言葉しっくり来ないんです、私。
誰がなくしていったのか、そういうことはっきりしておかないといけないと思います。
言葉尻を取って他を非難するようですけど、そう思うんです。
そんなことも少しハナさせてもらったんですけど、
でもその中で、また考えることが…
縁があれば良いというのも違うんではないかと思い始めたのです。
今震災後、「絆」という言葉を能く耳にしますけど、これも私には耳障りです。
ちょっと表現が大げさだけど、
押しつけられているようで、苦手です。やっぱ。
多分、縁を切ってきたというか、関係を断絶してきたのは、こういう押しつけ観、そういう中での閉塞感がいやだったから何ではないでしょうか。
自分自身も田舎社会、農村社会で生きていて、村意識が大切だと思うときと、煩わしいと思うとき、ほっといてくれと思うときあります。
これも事実なんですよね。
これから縁を大事にしていかないといけない、絆、つながりを大事にしていかないといけないという思いはそうだと思うんだけど、つながったらつながったでその形骸も必ず生まれてくるはずです。
っていうか、
私たちが大事にしなければならないのは、
血縁でもなく、
友人縁でもなく、
大事にしないといけないのは、
仏縁なんだと思うんです。
それ以外の縁はやっぱり、問題も抱えるのです。
仏を介する縁づくりというか、
他害仏弟子として歩んでいくこと、
とも同朋として気づいていく、
私たちが求めていかなければならないのは、
仏縁ただひとつなのだ、
できるかどうか、そういうことを抜きにして、大事にしていかなければならない、
忘れてはならない方向性だと思ったわけです。
仏縁社会を目指して…
でもこれはみんな仏教徒になろうっていう歩みでは決してないはずです。

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