199 私の持ってる当たり前は 本当に当たり前なのか?

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私の持ってる当たり前は当に当たり前なのか?
 気づけば、ジャガイモが花を持つ季節になってます。時はめぐるものなのですね。今年は天候不順というか、何時もと違っててつい不安を感じてしまうのですけど、もう6月です。
 今年の冬は珍しく雪が結構積もり寒さも結構厳しかったような気がします。たいがい大雪の時は春の訪れが早いというか、春は暖かいというのが常識なのですけど、今年は春がなかなかやってきませんでしたし、春を過ごしたという実感が湧かなかった四月五月でした。春の初めに植えたジャガイモもなかなか芽を出さず、どうなっているのかと心配しましたが、でも、今ちゃんと花を咲かそうとしています。初夏を迎えたと言えるのでしょう。
 ここ数年「異常気象」という言葉が毎年テレビなどから聞こえてきているような気がしてなりません。そして私たちも茶飲み話で何時もと何かが違うと話ししていますね、最近ずっと。
何時もと違うという意味では「異常」な気候なのでしょうけど、しかし本当に異常なのだろうかとも私は思うのです。もしかすると地球からすればこれが本来なんだよ、と言われそうな気もどこかするのです。
 正常とか異常という判断をしているのは私たちです。私たちの経験の中でそれを判断しています。しかし私たちの経験歴史というものは地球の歴史というレベルで考えるとほんのわずかな歴史、経験としか言わざるを得ません。地球がこの世に誕生して46億年だそうです。そして私たちの人類がこの地球に誕生して15万年と言われています。私たちの人類の歴史というのは地球の歴史から比べるとちっぽけなものです。ほんのわずかなものなのです。地球の歴史を一年にたとえると人類の誕生は、12月31日、大晦日の午後11時42分になるそうです。私の歴史と地区を比べればミジンコぐらいほんのわずかです。
 そういう私たちが、正常とか異常といってしまうのは本当によいのだろうか、正しいことになるのだろうかと私は思ってしまうことなのです。自分の抱え込んだ常識をもの差しとしていろんなことを考えることには危険性があると言わざるを得ません。
やっぱり私たちには「想定外」というのは常に有り得ることなのです。また想定外と思っているのはわたしたち人間だけなのかも知れません。想定外と言い訳することは人間のオゴリなのではないでしょうか。