俺、たまには褒められるんです

9日は在所にあるお宮さんの春祭り、獅子舞がいろんなところで舞われます。それを避けるように月参りをします。巻き込まれたくないので…

地域の役員をなさっておられるお宅が月参りの日でした、獅子舞が舞われるのはそのお宅は午前中だから、午後から行くことに、
そのお宅にいってやばいと、座敷に人影が、出直そうかと思いながらも、玄関に入った。ヤッパリ宴会中だった。出直そうかとお宅の人に聞いたら、な~んいいって。
親戚中でまいるのだと。
そして恐怖の一言が、おまえ飲んでけ!と
まだ仕事が残っているかといって断ろうと思ったのだけど、その方の声の勢いがあって、声なき声として、「俺んちの酒が飲めんのか!」と勝手に響きわたったた。
お参りが終わった後、遠慮なく一杯をよわれることに。
どう考えても俺だけ素面。温度差を感じます。
そういうことを感じながら話しを聞いてました。
話しがあっち行ったり戻ったり、おんなじこと言われたり、しながら、
でも褒められました。
おまえの説教これまで聞いたことなかったけど、○○さんちのお通夜に行っておまえが追って、喋っとった。はじめて聞いたと。
100点満点ではないけど、良かったと。中ぐらいだと。
良かったっていってくれました。
やっぱ褒められると嬉しいものですね。
本当はお通夜でお話しするの私苦手です。また法事の時も結構苦手です。
そしたらどういうときなら良いのか、といえば、別院などの定例です。これはハナしやすいです。機構という姿勢がありますし、聞き慣れた方が沢山おられるという思いがあってこっちにも甘えがでて、気楽に喋れます。
法事の時は、次のお斎のことが皆さん機になって、バスなどが止まる音など使用ものなら、ほとんどの方心ここにあらず状態。そういう状態で喋るのは心苦しく喋りづらいものです。
お通夜の時も、お通夜にお参りに来ただけで、話しを聞こうなんて思ってない、という視線を感じてしまう。近親者が船体の割合が多い場合もあるのですけど、そうでない場合は、喋りづらい空気が漂ってます。また真宗の門徒さんばかりではないし、宗教に関心のない方もおられる。変な宗教への固定概念をもっておられる方もおられる。
言葉に気を遣って喋らざるをえません。そういう意味で疲れるわけですよ、イツモよりは。誰に向かって喋ろうか、ということで迷いも生じます。
やっぱ、喋りにくいものです。
そういう喋りにくいところで喋った話しを聞いて褒めてもらったわけですから、うれしさ倍増です。
ただ、法事での話しを褒めてもらったことは全くありません。ここが課題ですかね。
褒められればいいというものではないですけど、
相手に届く話しをいつでもしたいものです。
近くのサイクリングロードに植えてある桜五分先ぐらいになりました。
iPhone_0338.jpg

コメントする