197 目をふさぎたくなる事実より…

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目をふさぎたくなる事実より…
 私たちが経験したことのない大きな地震が3月11日おきました。マグニチュード9.0だそうです。正直この数字を見てもどれぐらい大きい地震なのかということは私には想像がつきませんが、テレビのニュースで流されている画像を見ていると、とてつもないことがおこったのだということだけはわかります。
 地震の揺れだけならばこんなに大きな被害にならなかったのでしょうが、地震に伴う大津波が被災地沿岸部に押し寄せて、何もかもさらっていってしまいました。テレビを見ていますと本当に瓦礫の山です。訳のわからないところに大きな船が横たわっていたり、ビルの上になぜか車が引っかかってました。本当にどんな事が起こっていたのでしょう。想像がつきませんし、正直、怖くて想像したくありません。数えられないぐらいの人々の生命がさらわれ奪われていきました。また多くの人々が色んなものをはぎ取られ途方に暮れられています。
本当に心苦しいです。
このことが夢であったらと何度も思いました。テレビを見ているだけでそう思うのですから、被災地に赴き現状を見たらどうなのでしょうか。被災者の方々のことを思えば心苦しいです。
 そしてもう一つ、この地震による大津波により福島第一原子力発電所は大打撃を受け、あのチェルノブイリに次ぐと言われるぐらいの大事故を起こしています。そして日を追うことにとてつもない事故だという事実が知らされています。放射能物質がまわりに飛散し農産物、そして飲料水にまで影響を及ぼしています。
 想定外の大地震大津波だったにせよ。日本の原子力発電所は安全です。アナウンスされていたことは何だったのでしょう。そう思わずにはおれません。この後どうなるのだろう、子ども達の未来はどうなるのだろうと、不安と心配がない交ぜになって押し寄せてきます。
 大地震、大津波による大惨事をテレビなどから流し込まれると、「不安」が私の中から立ち上ってきます。そして私のまわりを覆い尽くし、漂っています。
 しかしこの不安はこの大震災によってのみ湧き出てきたことなのでしょうか。私はそのようには今は思えません。もともとあった不安が大きくなったり、この大震災によって元々あったものが目につくようになったことではないでしょうか。異天間で色んな方法で誤魔化してきた不安がこの大震災によって誤魔化しきれなくなっただけなのではないでしょうか。
 どここぞの誰かのように大震災は天罰だとはけっして言いませんし、思いません。しかし、何か大切なことを問いかけてくれているのかも知れません。私たち文明人の「驕り」の生活への忠告なのかも知れません。
 少なくとも、親鸞聖人の「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもってそらごとたわごと、まことあることなき」という私の在り方、そしてそういう世界を自分は生きているという私たちの事実を指し示してくださっているお言葉と大震災によって明らかになった自分と私たちが住むこの社会のありようが重なってくるように感じます。
 私たちの生活を見直す大切な機会として今あるのではないでしょうか。
 未来に向って私たちが歩んで行かなくてはならないことでしょう。