196 御文を戴く その14 一念の信心

196.jpg

一念の信心
 信心と言えば私たちは私たちが仏様を対象として信じることを思うのではないでしょうか。しかし最近私は浄土真宗ではちょっと違っているというか、ちょっとずれているような気がしているのです。私たちこの世に生きる凡夫は、仏様を直接拝むということはできません。何がまことで仏様の存在を知らないのが凡夫なのですから。なおさら対象がはっきりしないものを信じるというのは私たち凡夫には不可能なことなのではないでしょうか。私たちは姿を感じて阿弥陀仏を感じるのではなく、どこまでいっても阿弥陀仏のはたらき、慈悲にを感じることによって阿弥陀仏との出会いが成立するのです。またお釈迦さまが説かれたお説教が書きとどめられているお経や、お経を大切な教えとして頂かれてきた歴史によって阿弥陀仏の存在が知らされるのです。
 阿弥陀仏がはっきりしないものがどこまで阿弥陀仏という存在を信じていくことができるでしょうか。私は私たち念仏を称えるものが信じるのは、阿弥陀仏という人格化した存在を信じていくと言うより、阿弥陀仏が佛となられた誓願を信じていく、大切にしていくことが浄土真宗の信心でないかと最近思うのです。
 阿弥陀仏は世自在王仏という仏様に仕え佛となっていかれた方です。そしてその中で自分はなぜ仏になるのかという自分の願いのもとを訪ねる学びをされました。その中であらゆる人々をすくい取っていく佛となることを誓われていったのです。私たちはそういう願いをもたれた阿弥陀仏のはたらきによって救われていくのです。しかし、私たちを救ってくだされるのは私たちへのご褒美としてでは決してありません。おまえは立派だ、素晴らしい生き方をしたとほめてくださり私を浄土に生まれさせてくだされるのではありません。その反対なのです。このままだとたすかっていかない、どうしようもない生き方しかしていない私たちの生き方を見て悲しまれ、どうしようもなくなり私たちを救ててくださるのです。親が歩き始めた我が子を心配そうに見つめているその視線の奥にある子どもにたいする思いと似たような思いで私たちの生活を見つめ心配しておられるのです。
 その阿弥陀仏の願いを大切にしていこうとすることが大切だと思うのです。また私たちは阿弥陀仏に救ってもらわないとどうしようもない生き方をしている、そういう私を知っていくこと、阿弥陀仏がなぜ私たちをあわれんでおられるのかというわけに我が身の生き方を通して頷いていく歩みが、私たち浄土真宗の信心とも言えることだと私は最近強く思わせてもらっています。
 私たちを救わざるをえないわけが、今テレビなどのニュースを見ていて思わず目をふさぎたくなってしまう、残虐な事件を通して知らせて頂いていることなのではないでしょうか。
<<ご報告>>
先般常入寺総会が開催され、任期満了に伴い常入寺門徒新総代が
(長)安川 武志さん
    吉岡 義春さん
上のとおり選出されました。ご報告いたします。
老田釈尊降誕会
日時 4月2日(土)午後1時より
会場 乗福寺(中老田)
主催 老田仏教会
釈尊降誕会は花まつりとも言い、お釈迦様がこの世にお生まれになられたことをお祝いする仏事です。お釈迦さまの誕生会と言っても良い行事です。
お釈迦様の誕生日を縁としてお釈迦様のお仕事を確かめましょう。ご近所の方々をお誘いの上お参りください。
城端別院
御法宝物御巡回
3月9日(水)
 午前9時30分より
午後3時30分まで
会 場 常入寺庫裡座敷
布教使 正門 武士 師
ご命日の集い
三月から再開します
ご命日の集いとは私たちの宗祖、親鸞聖人のご命日である二十八日に開催する仏事です。常入寺では三月から九月の間の毎月二十八日に勤めています。何をやっているのかといえば、実は難しいことは何もありません。宗祖親鸞聖人がお造りになられた「正信偈」といううたをみんなで節を付けて読んで、後はお茶を飲んでいるだけです。
それだけです。
皆さんも月に一度お寺に集いお茶しませんか?
どうぞお気楽に顔をお見せ下されれば幸いです。
お待ちいたしております。
毎月二十八日
午後二時~三時ぐらいまで
とにかく一回来てくだはれま!
たのんちゃ

コメントする