191 報恩講案内

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報恩講厳修
並びに前坊守十七回期法要
十月三十一日午後二時より一月一日午後三時まで
10月31日(日) 午後2時より 午後のおつとめ
  午後6時より 親子の集い
11月1日(月) 午前9時30分より 午前のおつとめ
午後1時30分より まとめのお勤め と前坊守十七回期法要
★長寿者などを対象に自宅からゴボハンへ、ゴボハンから自宅への送迎サービス(無料)を実施いたします。前もって電話をいただければ係のものが迎えにまいります。是非ご利用ください。
お説教は昨年同様  松井 勇さん(南砺市)です。
お斎は11月1日あります。
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 本年もいつものごとく常時の報恩講を勤めさせていただきます。そして合わせて、前坊守、すなわち私の母親の十七回期法要を勤めさせていただきます。
そしてご門徒の方々には、当寺の前庭を壊して、駐車場にしていただきました。また法要に間に合うようにと住職の願いを受け止めていただき工事を急いでいただきました。お礼の申しようもないぐらいありがたいことだと思っています。心よりお礼申し上げます。
 さて、前坊守が亡くなりもう十七年経つのか、早いなぁ~と、ちょっと他人事状態にあります。でも、月日が経つのは早いものですね。あのとき母が亡くなり家族が誰もいなくなりました。でも一人増え一人増えして今は六人家族になっています。6倍に増えているのです。長男も中学校一年生になってます。そういうことをどういうふうに表現すればよいのでしょうか。よくわかりません。多分前住職が亡くなってから命終えるまで、前坊守は無我夢中とも言うべく生活を送っておられたのでしょう。お寺を何とか守ってゆかなければならないそのことだけを思われていたことなのだろうと、今になってようやく思うようになりました。私と前坊守は私が大学を卒業してお寺に帰ってきてから戦前戦後の教育の違い、お寺の運営の仕方の相違と言うことがあって皆さんよくご存じのように喧嘩ばっかりしていました。どういう事で喧嘩をしていたのかという詳しいことはほとんど覚えていませんが良く言い争っていたことだけは覚えています。
 前坊守は伝承と独学の中で浄土真宗の教えを学んできました。その中で私からすれば危ういと思うことがたくさんありました。しかし受け継ぎたい言葉もあります。それは「念仏相続」という言葉です。伝承されてきた言葉なのか、念仏生活の中で感じた言葉なのかよくわかりませんが。今でも良くお説教をするとき締めの言葉として使わせてもらっています。これは母が法要後門徒さんの前で語っておられた言葉です。本当に大事な言葉だと思いますし、皆さんも大事にしていただきたい言葉ですし、私も生きる道しるべとしてゆきたい言葉です。
念仏相続、念仏を受け継いで行こう!ということです。よく「今はお寺は大丈夫だけど、私たちの次の世代どうなるかわからんよ」というような助言を頂きます。本当にそうだなと感じています。これからお寺を維持していくということは本当に難しいことであり、生半可な気持ちでは大変だと肌で感じさせていただいているところです。皆さんのその思いは本当に心配なさってくだされているのだと思っていますが、しかし、その前に私たちはお寺は相続しているわけですが、お寺の役割って何だろう、お寺って何をするところなのだろうということを今だからこそ確認しておかなければ行けないのではないでしょうか。ただただ建物だけを維持していくことに専念することは勿体ないことだと私は思ってます。維持することが行けないことでは全くないですが、その存在意義を私たち一人ひとりの中で明らかにしておく必要があると思うのです。
 その答えの一つが「念仏相続」ということだと思うのです。先祖が宝物として代々受け継いでこられたナムアミダブツという言葉を次の世代にも、そして私自身も受け継いでいく、そのためにあるのが浄土真宗のお寺なのではないでしょうか。私たちは南無阿弥陀仏ナムアミダブツという言葉はまだ声に出して言えるかも知れません。しかし、念仏として、阿弥陀如来に感謝する気持ちで念仏を迷いなく称えることが出来ているでしょうか。念仏の信心を如来様より頂いて念仏を称えているでしょうか。そういう念仏を私たちは受け継いでいかなければならないことでしょう。そのためにどうぞ、お寺につどいください。

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