対話

先日葬儀のお参りを突然頼まれ参列させて頂いた。

その後なのか法要の後のお斎の場の時、戦争についての話になった。
私はいつものよう耳を立てて効いていたのである。
太平洋戦争について先輩方から話しを聞くとき自分にはある種の偏見を持って話しを聞いてしまう。
太平洋戦争を経験している人たちであっても、兵隊にいっていない人、また、戦火に遭ってない人はどうもならんな。そういう偏見もあるし話しを聞いてそう思ってしまうことが多々ある。
兵隊などになってない人は戦争を美化するし仕方がなかったという言葉で簡単に済ませてしまうような受け止めを私は持っている。
一方兵隊にかり出された人は、戦争を美化する人もいるし、しかたなかったという言葉を言われる人もいるが、その中にでも悲しみのようなものを感じる。だから、話しがどちらかといえば聞きやすいし、心に残る。、
この間のお斎の関で戦争の頃の話しになって、自分はなぜ自分の見てきたことや大変を話さないのかということをその場に座っておられた方々と話しなさっておられた。
その内容は、若いもんは…という話しだったんdなけど、
だけど考えさせられた。
戦争のことを話さなかったのではなく、話したけど聞いてくれなかった、その中で話すのをあきらめた、というようなことを仰っておられた。
その方が言われるには、戦争の話しをしたら、
なぜ戦争に反対しなかったのか、
なぜみんなで反対運動をしなかったのか。
ということがよく若い人が言っていたというのだ。
そういう中で話すのをやめていったといわれていた。
当寺は軍国主義教育であり、戦争を賛美することが当たり前の教育であった。だから軍国少年になるのが当たり前だった。
また、反対したとしても捕まえられたりしていった。自由に自分の意見の言える時代ではなかった。
このことを若い人たちは理解してくれない。
そう仰っておられた。
戦争を賛美するものは悪人だ、罪人だ、って感じに聞こえてきた。ということらしい。
なるほど、こういう関係の中では話したくはなくなるよね。
なんて思った。
今の価値観でそのまま当寺の人たちのことを、裁いていくのはまずいな、と思った。
当寺としては、「しかたなかった」っていうことはたくさんあると思うし、気づくことが出来なかったこともたくさんあると思う。
私たち若い世代にも、戦争を語り継げない原因があるのだと思わされた。
そういう態度はいけないよな、なんて同世代の人を批判しようと思ったけど、今自分はそういうふうに思うけど、自分の10年前、20年前はどうだったろ、なんて考えた。
自分も、自分が今持っている価値判断でそのまま当寺の人たちを切り捨てていたような気がする。自分の価値判断で悪人を作り上げていたような気がする。
そういうところで対話を遮断していた、間違えのないことだ。
そういうふうにまた反省させて頂いたことだ。

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