186 祠堂経枝案内

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祠堂経会厳修
二〇一〇年七月四日午前十時より日午後四時まで
七月四日(日)
午前の部、並びに祠堂のお勤め
午前十時より
尼講のお勤め 午後二時より
午後の部 引き続き
七月五日(月)
午前の部のお勤め 午前十時より
午後の部のお勤め 午後二時より
※四日は尼講による昼食の振る舞いがございます
それぞれのお勤めのあとに法話があります。(午前の部十二時頃、午後の部四時頃終了予定です)
法話は、両日とも当寺住職がお話しいたします。
皆さんといっしょに聞法いたしたいと思っています。
ご近所の方々をお誘いの上お参りください。
お待ちいたしております。
祠堂についてお寺に寄附をすることを祠堂といいます。どうも祠堂銭という言い方を以前はしていたようです。身内が亡くなられたことを縁としてお寺に祠堂されることが多いです。いつ祠堂すればよいのですかと聞かれることがありますが、寄附ですので、しなければいけないこともありませんし、いつということも決まってはいません。思い立ったときお寺にお持ちいただければよろしいです。また金額もお気持ちをお入れください。多い少ないということはありません。祠堂しようというお気持ちがお寺にとってこの上ない喜びです。
 常入寺では祠堂を頂いた方々に祠堂のお勤めを祠堂経会の初日にまとめてさせていただいています。今年の祠堂経会の時にと思われるのでしたら出来るだけ早くお申し込みください。準備の都合等がございますので、祠堂経会の当日祠堂いただいてもお勤めできないこともございます事ご了承ください。
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 最近ふと思うのですが、私が小さかった頃と比べお参りの時のお念仏の声が本当に小さくなったと思うのです。私たちの教えは南無阿弥陀仏とお念仏申すことを宗といたします。それなのに今本当にお念仏の声が聞こえなくなった、とはもうしませんが、本当に小さくなったと思うのです。これでよいのでしょうか。ある意味危機的状況と言っても良いのではないでしょうか。皆さんはどうお思いでしょうか。
 お念仏は私たちの先祖が我が家の最も財産として相続されてきたものです。それが今私たちのところに伝わっているのです。それを受け継いだはずの私たちの思いには、お念仏を称えようという思いが強く湧いてきません。これでいいんでしょうか。
 お念仏は先祖が相続してきてくださったものです、だけど其の許を訪ねれば阿弥陀仏の願いにあります。私の願いがあらゆる人に触れてもらいたい。そのために私の名前をあらゆるところで響き渡らしたい。そういう願いが始まりです。そして、その阿弥陀仏の名前を聞き、その中で阿弥陀仏の本願、佛となったわけに触れ、その願いに出会えたこと喜び、出会えたことの感動、そして阿弥陀仏の願いに感謝されて、南無阿弥陀仏ナムアミダブツとお念仏申されてきたのです。
 今の現状は、先祖からプレゼントをもらっておきながら中身を開けず、その価値をも知らず放置している状態が、私たちなのではないでしょうか。先祖たちが現状を知れば、勿体ないことと歎かれることでしょう。そしてまた、そういうありようだからこそ阿弥陀仏は本願を起こされ、私たちにお念仏を手向けられたのだと、またお念仏の尊さに喜んで行かれることでしょう。
 とりあえずでよろしいですから、お念仏の試食、味見をしてみませんか?せめて仏事が催されているときお念仏申してみようという決意をしてみませんか?
 南無阿弥陀仏、ナムアミダブツ、なんまんだぶつ

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