さびれていく街 これでいいのか!

先日仕事で北陸にあるある港町に行ってきた。

仕事は午後だけのものなので、午前中街を歩いた。
いうまでもなく夜もまちを紹介してもらった。
駅前やその他のところがあるって井戸整備されているというか、奇麗に作り直されている。
そういうことがあってなおさら、街のさびれが目に入った。
石畳が曳いてある道、だけどそこには焦点が少ない、これ、昔お店だったんだろうなぁ~っっていうおも影は残ってる。商店街の賑わいはほとんどない。店舗にシャッターがあれば、シャッター街といわれるんだろうな~。
ホントにこれでいいのか、そう思った。
高齢化、少子化、そして都会に人が流れていく、
その津波が、地方、田舎に押し寄せている。
否、
人と活気が都会にさらわれていってる。
都会がさらってるんだ。
何となくそう感じた。
街も寂しいし、そこを歩く私の心も寂しくなった。
以前「在日琉球人」を多分名乗っている人が、
日本に天皇制がある限り、日本に文化はない。
そう仰ったことを思い出す。
今、地方の文化、言葉、それがみんな奪われて行ってる。
それも気づいてみれば、である。
いつの間にか田舎にすごすものも中央の言葉、中央の文化を自分の文化言葉としてしまってる。
自分もそうだ。
そのながれの中で、人と活気が中央に流れて行ってる。
地方の活気を取り戻すのは、本当に地方に住むものの責任なんだろうか。
特色のない街にどんどんなってる、都会のミニ版にしかなってない。
多分、もっと大きな視点で見てもそうなのだろう。
グローバル化という言葉の中で、ドコモかもアメリカのと開花して行ってる。
同じ土俵で戦い、同じ戦い方をする中で、勝てるものは少数
そして一極化していく。
お金が一ヶ所に集まる。
特定の人だけがお金持ちになっていく。
その他は吸い上げられていくだけ。
またその中で、自分だけは吸い取られる了を減らそう、吸い取られた文、あそこから吸い取ってやろう。そういう争いが続けられている。
街が街の文化言葉で生活してゆく。
そういう中でしか、街の活気は残せないのではないだろうか。
でも、今から間に合うのだろうか。
地方分権、地方自治、そういうことがもっともっと小さい単位で行なわれていかない限り、私たちの文化は、護らなければならない文化でしかなく、保存しないといけない文化言葉にしかならない。
田舎は、都会の人が癒される場では決してなく、また昔を懐かしむ場所でも全くない。
私たちが人として生活する場なのだ。
私はそう思う。

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