かわいそう

4日、雅楽の仕事で射水市の加茂神社行ってました。

春の大祭だそうです。流鏑馬があることで有名です。なまってヤンサンマっていわれてます。
その行事の中に牛乗式(うしのりしき)っていうのがあって、面をかぶって弓を持った人が牛の上に乗って、境内をに週か参集させるという行事なんですが、
その中で無理やり座らせたり、立たせたりするわけです。
これは多分、農耕に必要な牛を操ることが出来る、ということ統治者がアピールするための行事だったのだと私は推察してます。
ここ五年ぐらい続けて行っているのですけど、
今年祭を見に来た人たちから
「かわいそう」
っていう声が結構聞こえたというか、耳に残りました。
牛を無理やり座らせたり立たしたりするわけだからそう言われても仕方のないことなんでしょうけど、
でも前はそんな声あまり聞こえなかったような気がする。
何で「かわいそう」という声が目立つようになったんだろう。
なぜかということを何となく考えています。
答えは出ないんですけど、
何となく、近年の捕鯨に対するバッシングと重ねて見えてきてます。
募ゲイの場合は今はもうヨーロッパの人たちからすると、殺すことが肯定されなくなった時代。かわいがる存在になってしまっていて、捕鯨している食用などとして殺すことが肯定されている国とどうしても温度差が出来てしまっている。
同じように牛もかわいがる対象になったのかな今は、現実としては牛を食用として食べているんだけどね。現実には目を背けているっていうことなのかな。
少なくとも農耕用に牛が必要としなくなって久しい。操る必要がなくなった。
かわいがる対象となっていることがかわいそうという声が耳にするようになった原因だと思う。
「いのちを大切に」という教育が浸透した原因もあるのだろう。
いのちを大切にするっていうことはそういうことなのか、っていうことを自明のこととせず、じっくり考えていかなければならないと思う。

コメントする