183 御文をいただく 其の十 五帖目第二通①

183.jpg
御文をいただく 其の十帖目第二通①八万の法蔵
 法蔵とは仏法の蔵、仏法が納められているものという意味で仏教教典のことを言います。今、現存している仏教教典は八万あるというふうに言われています。正確に八万冊あると言うよりは、満数として、多いという意味で八万という数が用いられているのでしょう。言うまでもありませんが、正直性格に私はいくつあるか仏教教典の数を数えたことはありません。あしからず。
 教典とは、お釈迦さまが説かれたお説教が書留められている「経」、そして菩薩という位の方が書かれた「論」、そしてその他の方が書かれた「訳」に細かく分類されることもあります。私たち浄土真宗では、正依、まさしくよりどころとすべき経として、浄土三部経があります。浄土三部経とは、『仏説無量寿経』『仏説観無量寿経』『仏説阿弥陀経』を言います。また無量寿経は元もと昔のインドの言葉か書留められていたものを中国の言語に翻訳されるという事業が十二回なされたと言い伝えられていますが、現存して今読むことのできるものは5種類しかありません。その中で私たちは、今から約千八百年前の康僧鎧という方が翻訳されたものをよりどころとしています。
 論としては、龍樹菩薩がお書きになられた『十住毘婆沙論』天親菩薩様がお書きになられた『浄土論』が選ばれています。また、親鸞聖人は、『浄土論』の本釈書である『浄土論註』という書物も論として位置づけられている気配も見受けられます。訳としては、曇鸞大師、道綽禅師、善導大師、源信大師、源空上人などがお書きになられたものを正依の論として選ばれていることでしょう。
 仏教をひらかれたお釈迦さまは私たちに教えを伝えるために書物をお書きになられたと言うことはありません。そのとき、その人が理解しやすい言葉でお語りになられています。そのお説きになられたお言葉を直接聞かれた方々が頭で覚えて人に伝えられていましたが、お釈迦さまがお亡くなりになられてしばらくしてから、後の世にしっかりお釈迦様の教えを伝えていこうと言うことになり、お釈迦さまのお説教を聞かれた方々が集まられ、文字で書き残す作業をされました。それが、仏教経典の始まりです。ですから最初の教典は昔のインドの言葉で書かれています。しかし、今私たちが目にする経典は漢字で書かれています。それはインドの言葉で書かれていた経典を忠告の言葉に書き換えられた人がいたからです。自分たちの国の言葉で書き換えて多くの人に仏教に触れてもらいたいという大きな願いがあったからです。その願いの置くにはお釈迦さまのお言葉に触れ尊い教えと頷かれた事実があるからです。
 今を生きる私たちは、お釈迦さまというエライ人が語った言葉が経典には書かれているという理解だけではなく、経典に書かれている言葉に触れて、私にとって尊いことが書かれていると頷くことが本当に大事なことなのでしょう。

「183 御文をいただく 其の十 五帖目第二通①」への1件のフィードバック

コメントする