遅ればせながら 節分を考える

もう過去のことと言ってもいい時期になりましたけど、ちょっと節分について…

節分衛について以前から気にはなっていたんですけど、《鬼は外》という言葉が中心に疑問を感じていました。
鬼はうちという言葉に代えればだいぶ問題は解消されるのかという感じで受け止めていたんです。
だけど…
テレビのニュースを見ていて考え直したんです。
節分の風景を知らせるニュースで
保育園児が鬼の格好をして鬼は外といって豆まきをしてました。
そのときは滑稽だとだけ感じてたのです。鬼が鬼払いしていると。
でもあの相が私たちだともあとから気づかさせてもらいました。
あの滑稽と感じる相が多分自分のことなのだろうと。
そう知っていくこと、頷くことが私たちにとって大切なこと。
燃してもう一つ、
鬼はうち、といって鬼と仲良くなっていくのも違うと考え出したんですよ。
嫌い鬼のまま、こわい鬼のまま鬼と出会うことこそ大切なんでしょうね。
こわい存在と、受け入れがたい存在都道で会うか、これが私たちにとって大事なことだと思うんです。
鬼が福を持ってくる存在にしても鬼が鬼でなくなってしまうんでないかな。
福も、悪もそれは私たちの計らいでしかない、自分の経験だけを元にしての感覚でしかないんです。

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