いのちは重い

一昨日教務所で研修会があり、言ってきました。いやいや、行ってきたんです。

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担当小委員会の幹事をしているって言うことでチョッと早く会場に向わないとと思い早めに家を出て、高岡駅に着き、乗換えようと思ったら、俺を呼ぶ声が、どうも駐在、声がする方に向くとヤッパリ公用車に乗った駐在が、そろそろ講師がつくから迎えてくれと、訳がわからず待つと、駐在がやってきて、駐車場がいっぱで車から離れれないので矯む、っていうことだった。やっと現状を理解して町、しばらくするとおいでになられました。一度しかお顔を拝見したこと無かった方でしたが、何とか発見。ご飯を食べておられないと言うことでいっしょにご飯にすることに、
そして研修会、懇親会。梶原さんはお酒をお飲みになられないとのことだったが、懇親会におつきあいくださり、懇談。
そして帰宅して、またの見直して、飲みつぶれて2日酔いの朝でした。2日酔いの中、プロの野球とれなーの講習会があるというので、立場上参加して、ビデオ撮影、「バランス」の大切さをいわれてた。終わり、昼ご飯も食べる暇なく法事に、途中睡魔に襲われ負けそうになるが、根性で持ちこたえる。夕方、今日の組の教化委員会の内あわせを組長宅でして、帰宅して、寐たって言うわけです。
めっちゃあわただしかったです。
特に、梶原さんの話を振り返ることなく、ばたばた、それが何か、もったいない気がしてならない。
そうそう、懇親会で、藤元先生の話をリアルで一度も聴いたこと無いと話したら、それは勿体ないことでって言われたことを思い出す。
梶原先生の話の中で一番記憶になっているのは、
現代は生死が重くなってしまってる、っていわれたこと。
いのちは重たいもの、だからこそ、生死を軽くしなければいけない。
生死が重たくなっていのちが隠るなってしまっている。
なんて言うことを仰っておられたことを思い出す。
これだけ放るほどって思った。
これだけはっていう言い方は語弊があるかも知れないけど。
イヤ、
久しぶりに、
人の話を聞いて、わからない言葉がいっぱいあった。聞き慣れない言葉、語意がつかめない言葉、何を言おうとされているのか理解できない言葉。
久しぶりにわからん、なんて叫びたくなる研修会だった。
これは梶原先生の問題ではなく、俺の問題だ。
もうちょっとしっかり教学というか、教えに出会っていかないとと反省させられました。
そういう意味でもヤッパリしっかりノートを読み返さないといけないんだけど、
なかなか振り返る時間が作れない自分です。
そういうわけでやれやれでした。
いのちは重いのだから、生死は軽くしないといけない、
この言葉にチョッと、が~~んとさせられました。
自分が生きているって言うことをチョッと、イヤだいぶ自分の所有化しているって言うか、そうなんだろうな~って。
いのちは重く、生死は軽く、
心に響いてます。

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