思いをかなえてくれる神仏 こそ…

私たち日本に住むイメージから言うと、神仏というのは、

願いを叶えてくれる存在、
願いを叶えてくれるから礼拝の対象となることが多い。
それはそうなんだけど、
ほんとうに今を生きる私たちにとって必要な存在なのだろうか。
私たちにとって大事な存在なんだろうか。
ふとおもったことは
神仏が自分の願いばかり聞いてくれると、私たちはどうなっていくだろうか。
そう考えると、
自分勝手な人間になっていくのではないだろうか。
人間の思いを中得てくれる神仏は自己中の人間を生産していく。
そうなんではないでしょうか。
それでいいんでしょうか。
今私たちに必要なゾンザイハ、自己中心的には生きていってはいけない、
自分勝手な生き方をしてはいけないというはたらきなのではないだろうか。
「自分の思いは叶わぬもの」
「和(やわらか)」をみだしているのはおまえなのではないか
そういうことを言い当ててくれるはたらきこそ、今を生きる私たちは大切にしていかなければいけないのではないかと思うんです。
神仏に願を掛けてはならないなんて言うことは思わないけど、
そういうことを願うことはとういう事なのかなんて考えることが自分たちには大切だと思う。
そして、人生思い通りには行かないもの」と言うことを尊くも言い当てていただける存在、頷かせてくだされるはたらきとして、神仏に礼拝していくことが大切だと思う。
そういう存在こそ、我等が本尊、阿弥陀仏なのだろうと思う。
私が必要としている佛と、
私が必要にしなければならない佛がいる、

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