ローカルルール

もうすこしで寺院方の報恩講が本年分終わります。

結構、気が楽になってます。
実は気が楽なのはこれだけが原因ではないのですけど、多分最後の方にもう一つの理由を主因とも言うべき理由を書くと思います。
ところで、
報恩講にまつわる富山独特のルールがあります。
ひとつには、報恩講の時住職世奇なるものが作られる。
といっても特別なものが作られるというわけではなく、住職はここに座りなさいという指定席があるということなんですけど…
翠簾の間がある方の余間といえばいいのか、下の余間といえばよいのか、平生法名が安置してある方の余間っていえばいいのか、とにかく底の内陣に近い方で参詣席側に住職が座ることになってます。
住職は内陣に出仕せずに余間に座っては勤行を拝聴するものだということが言い伝えられています。
このことを知人に話ししたら差別的だといわれました。私は全然そうは感じてなかったのに。
報恩講は勤めてもらうもの、という意識が私たちにはあります。
大寺下寺っていうことがしっかりしていた、ということがひとつの原因なのでしょうけど…
報恩講は住職がお勤めするものではなく、お手次ぎのお寺さんや、近隣のお寺さんに勤めて頂き住職は余間に座って拝聴するものだ、ということなのです。
お手次ぎのお寺っていうのは、いわゆるアイジョウコウっていっている寺院のことなのですけど。
報恩講は(おれが)勤めるものではなく、勤めていただくもの、拝聴するもの、そういうことを教えていただく大事な伝統だと私は思ってます。
もう一つは住職焼香というのがローカルルールとして伝統されています。
本山によると勤行するときに焼香をしなければならないのは調声人である、と主張されるのですけど、富山では勤行での焼香は住職がするものだと思われています。
だから本山の意識でいえば、勤行中前に焼香する、または合掌中に焼香するのは代香なのだと、
だから焼香するヒトは御代前前から中啓数珠をもたずに現れ中尊前で焼香をする。当然代行なのでイッサツ、一回する。っていうことになります。
でも富山では基本的に焼香をするのは住職なのだと思われていますので、代行でなく、本人、すなわち住職がする場合も有り得ることになります。そういうときは御門主が本山で焼香するような作法になります。
祖師前から中啓珠をもって現れ、焼香もニサツ、二回して終わりに蹲踞礼るっていう作法が存在してます。
私はこれはあまり好きでないので、っていうか本山の考え方を指示するので、住職である私が焼香するときは、住職焼香ではなく、代香としての作法をやります。
そしてもう一つ、
最初に述べたように報恩講では内陣出仕するのは住職以外となりますので、登高座があったとしても住職はしません。登高座をするのは基本的にはお手次ぎさんということになるのです。本来自坊で登高座するのは許可されていますけど、他のお寺でする場合は許可が要ります。伝授師なるヒトに作法を伝授していただき、許状を授かりそのものだけが出来る、というのが当派での常識です。
だけど、富山ではそうではありません。アイジョウコウのお寺では出来るという意識があるのです。
ということで、本当はここから本題、
今日は私が所属するお鱈がお手次ぎ寺になっているお寺の報恩講の御満座が勤まる日なのです。ですから登高座を私がしなければならない、ということなんですけど、
今回住職が交代して、継承式を報恩講の御満座とあわせてつとめたいということになり、私は登高座をすることから解放されたのです。
免れたのでホッとしてます。
元もと作法を覚えていない、
そして登高座という作法、そして報恩講私記、嘆徳文を拝読するという義気に抵抗感を感じている私なので、立場上しなくてはなりませんけど、気が乗らないことなのです。
気の進まないことをしなくてもよいということで本当開放感に満たされてます。
今日は報恩講を楽しんで行ってこようと思います。
るんるん

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