変わるべきはどちらのほうなのか、 自死ということを縁として考えた

今月26日私が幹事を務める小委員会で自殺に関する学習会を催す。

そんなことがあって色々自殺について考えている。
今回お話しをしていただける方は高橋祥友さんという方です。この方の話を私は聞いたことは全くないし、本も読んでいません。どんな方はほとんど知りません。
ただ彼のプロフィールを覗いてみると、
残された家族のケアーをされているらしい。
そのことが目につく。
自分の回りでは数人の方が自ら命を絶って往かれた。
でもその中で遺族のケアーという意識はほとんど無かったような気がする。
それどころか、
口には出さないけど、そういうあなたの姿勢が問題なのではないか、
とか、
そういうあなたの性格が自殺を誘引したのではないかと、
心の中で問いかけていた。
そういう自分が問い返される。
その思いは間違えかも知れないけど、あたっているかも知れない。それは私には計り知れない。
ただ、自分がそういうことを思ってしまっているとき、
知人が自ら命を絶ったことによって、自らを問うということがない。
自分と無関係なところでその人が命を絶っていったことにしている自分がいる。
それでいいのだろうか、と今思っている。
また、自殺志願者や、ウツの方を目の前にすると、
なんとかしてあげたい、たすけたい、とおもう。
こうおもうのはとうぜんのことなのかもしれない。
それを否定する気は全くない。本当に大切な姿勢だ。
でもそういう時自分は「救済者」になってしまってるのではとも思う。
助ける立場、助けられる立場がはっきりできてる。
助ける立場は本当に助ける立場だけでいいのだろうか。
変わるのは相手だけなのだろうか。
私は変わる必要がないのだろうか。
私たちの生き方がウツを誘引しているということはないのだろうか。
そういうことを今考えています。
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